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2018年版 3月3日はこんな日


● 今日(3月3日)の主なできごと

1854年 日米和親条約……アメリカのペリー提督が、前年6月につづき7隻の軍艦を率いて再び日本へやってきて、横浜で「日米和親条約」(神奈川条約)を幕府と締結した。これにより、下田と箱館(今の函館)の2港へ入ることを認めたことで、200年以上続いた鎖国が終わった。

1860年 桜田門外の変……大雪が降るこの日の朝9時ごろ、江戸城外桜田門近くで、江戸城に向かう大老の井伊直弼と約60人の行列に、一発の銃声が響いた。これを合図に水戸浪士ら18名が行列に切り込み、かごの中の井伊の首をはねた。浪士たちは井伊大老による「安政の大獄」で、水戸藩主をはじめ多数の処罰を恨んだ行動。

1973年 「ワシントン条約」採択……絶滅の危機にある希少な野生動植物の国際的な取引を規制する条約で、日米など72か国が正式調印。日本では、1980年11月から効力発生となっている。


● 今日の主な記念日・恒例日

ひな祭り……旧暦ではこの頃に桃がかわいい花を咲かせるために、「桃の節句」ともいわれ、女の子のすこやかな成長を願って「ひな人形」を飾る。その起源は、むかし中国で重三(3が並ぶ)の節句と呼ばれていたものが、平安時代に日本に伝わり、貴族のあいだで行なわれていたのが、江戸時代になって一般家庭にも広がるようになったもの。

耳の日……「み(3)み(3)」の語呂合せ。また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもあることから、日本耳鼻咽喉科学会が1956年に制定。


● 今日生まれた人

1749年 大田南畝……江戸時代中・後期の幕臣。蜀山人・四方赤良のペンネームによる戯作者・狂歌師。

1847年 ベル……アメリカの物理学者。電話を発明し、事業家として成功。

1868年 アラン……フランスの哲学者。代表作『幸福論』など。

1879年 正宗白鳥……明治・大正・昭和期の小説家・劇作家・文芸評論家。代表作『何処へ』『入江のほとり』『最後の女』など。

1924年 いぬいとみこ……昭和・平成期の児童文学作家。代表作 『ながいながいペンギンの話』 『北極のムーシカミーシカ』など。


● 今日亡くなった人

1599年 前田利家……安土桃山期の大名。加賀藩主前田家の祖。

1860年 井伊直弼……江戸時代末期の大名。幕府の大老。

1977年 竹内好……昭和期の中国文学者・評論家。

1987年 ダニー・ケイ……アメリカの俳優・コメディアン。

1999年 藤原弘達……昭和・平成期の政治評論家。代表作『弘達エッセンス』シリーズなど。独自の政治論評。


● 過去のマイブログ「3月3日」のテーマ

2015年  「中国研究」 の竹内好
近・現代中国文学研究、特に魯迅研究の第一人者で、伊藤整や野間宏らと国民文学論争を展開するなど、言論界で活躍した文芸評論家の竹内好(たけうち よしみ)が、1977年に亡くなった日です。1910年、長野県臼田町に生まれた竹内好は、東京で育ち、旧府立一中、大阪高を経て東京帝大支那文学科に入学しました。在学中に中国を旅したことで中国文学研究者となる決意を固め……。

2014年  「加賀百万石の祖」 前田利家
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、豊臣政権の五大老の一人、加賀藩主前田家の祖として知られる前田利家(まえだ としいえ)が、1599年に亡くなった日です。1538年、尾張国愛知郡(いまの名古屋市)の土豪前田利春の次男として生まれた前田利家(幼名・犬千代のちに孫四郎、又左衛門を名のる)は、1551年に織田信長に小姓として仕えました。若いころの利家は、勇猛でしたが短気でけんか早く……。

2011年  「おもしろ古典落語」12回目  『蜀山人(しょくさんじん)』
五・七・五の「俳句」を、面白おかしく表現した文芸を「川柳」というのに対し、五・七・五・七・七の「和歌」を面白おかしく表現したのが「狂歌」です。1749年の今日3月3日に生まれた蜀山人の本名は、大田直次郎、号を南畝(なんぽ)といい、直参(じきさん)という徳川家のお役人でした……。

2010年   桜田門外の変
江戸城外桜田門近くで江戸城に向かう大老・井伊直弼と約60人の行列に、水戸浪士ら18名が行列に切りこみ、かごの中の井伊の首をはねる「桜田門外の変」が、1860年に起きた日です。1853年にアメリカの ペリー が黒船4隻をともなって浦賀に来航し、日本に開国をせまりました。翌年の3月3日に、今度は7隻の軍艦をひきいて再来日したため、徳川幕府は「日米和親条約」を結んで、鎖国を解き、下田(静岡県)と箱館(現・函館)の2港を開きました……。

2009年  ひなまつりと耳の日
女の子のすこやかな成長を祈る年中行事ひなまつりの日です。また、3月3日は、33と、3が重なることからミミの語呂合わせと、3が耳の形に似ていることから、1956年に日本耳鼻学界は「耳の日」に制定しました。アメリカでは、電話の発明者であるベルが誕生した日を記念して「電話記念日」とし、ベルが隣の部屋にいる助手のワトソンに伝えた「ワトソン君、用があるから来てくれないか」というフレーズを、記念の言葉としています……。

2008年 「くせに」 をやめて 「だから」 に
母親が小さな子どもをいましめる時に使う言葉の中には、「あんな叱り方をしなくてもよいのに」 と思われることが少なくありません。たとえば 「……のくせに」 という言い方も、そのひとつです……。

2006年 「月刊日本読書クラブ」の刊行
1983年2月、「日本読書クラブ」の設立と同時に、会報「月刊日本読書クラブ」の創刊号(B5判24ページ)を発行した。そして、「入会のすすめ」は次のように、締めくくった……。
投稿日:2018年03月03日(土) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)