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最新記事【2018年02月16日】


● 今日(2月16日)の主なできごと

935年 土佐日記……平安時代中期の官僚で歌人の紀貫之は、任地の土佐から京都へもどり、この旅のようす『土佐日記』に著した。これはわが国初の日記文学で、土佐から京へ帰る貫之ら一行の55日間の旅路と思われる話を、書き手を女性とし、ほとんどを仮名で日記風に綴ったもの。のちの『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』などの作品に大きな影響を与えた。

1883年 天気図……東京中央気象台が、ドイツ人の気象学者クニッピングの指導のもとで、全国11か所の測候所の観測記録を電報で取りよせ、この日わが国で初めて7色刷りの天気図を作成。3月1日からは毎日(太平洋戦争時を除く)印刷して発行されるようになった。

2005年 京都議定書発効……1997年に京都で開かれた第三回気候変動枠組み条約締約国会議において採択された議定書が、採択から7年以上経過後に発効。 締約国の温室効果ガス(二酸化炭素など6種)排出量の削減目標を数値化し、それを達成するための排出量取引などの方法を示すもので、署名した各国に排出量削減を義務づけるきっかけとなった。ちなみに日本は、2008〜12年の間に、1990年に比べて6%削減。


● 今日の主な記念日・恒例日

天気図記念日……日本初の天気図が作成されたのにちなんだ記念日。
 

● 今日生まれた人

1222年 日蓮……鎌倉時代中期の僧侶。日蓮宗(法華宗)の開祖。

1666年 荻生徂徠……江戸時代中期の儒学者。古文辞学を確立。主著『政談』。

1838年 大隈重信……明治期の政治家・教育者。第8・17代首相。立憲改進党結成、東京専門学校(のちの早稲田大学)創立。

1884年 安田靫彦……明治・大正・昭和期の日本画家。前田青邨と並ぶ歴史画の大家。

1896年 有沢広巳……昭和期の経済学者・統計学者。傾斜生産方式を唱える。

1931年 高倉健……昭和・平成期の映画俳優。代表作『網走番外地シリーズ』『幸福の黄色いハンカチ』『野性の証明』『鉄道員(ぽっぽや)』など。


● 今日亡くなった人

1190年 西行……平安時代の末期の僧侶。生涯旅の中にあり、歌と仏道を歩んだ人間として、宗祇や芭蕉らに大きな影響。

1977年 末川博……大正・昭和期の民法学者・随筆家。


● 過去のマイブログ「2月16日」のテーマ

2015年 「法学の第一人者」 末川博
「京大事件」に抗議して「大学の自治・学問の自由」を守るために京大を辞任、戦後は立命館大学総長として護憲・平和運動を指揮した民法学者の末川博(すえかわ ひろし)が、1977年に亡くなった日です。1892年、今の山口県岩国市に生まれた末川博は、旧制岩国中学、第三高校を経て、1917年に京都帝国大学(京大)法科を卒業すると、同大学院法科修了後に同大講師、助教授となります……。

2012年  歴史画の大家・安田靫彦
大正・昭和期に、ロマンチックな歴史画を数多く描いた日本画家の安田靫彦(やすだ ゆきひこ)が、1884年に生まれた日です。東京日本橋の料亭に生まれた安田は、生後まもなく母が亡くなり12歳の時に父も亡くなって、家業は人の手にわたりました。武者絵が好きだった安田は14歳のころ、帝室博物館(現・国立博物館)で法隆寺金堂壁画の複写絵や、日本絵画協会共進会展で、横山大観、菱田春草、小堀鞆音(ともと)らの歴史画作品にふれて感動し……。

2011年  古文辞学と荻生徂徠
江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者として活躍した荻生徂徠(おぎゅう そらい)が、1666年に生まれた日です。日本民族の文化の歴史の中で、もっとも華やかに開花した文化のひとつに「元禄文化」があげられます。それまでの文化は貴族か武士による文化でしたが、17世紀終わり頃から18世紀初頭にかけておこった元禄文化は、主に京都・大阪など上方の町人を中心に発展した、まったく新しいものでした……。

2010年  法華経の日蓮
鎌倉時代中期の僧侶で、法華経に基づく教えこそが唯一の仏教の真髄と説く日蓮宗(法華宗)を開いた日蓮(にちれん) が、1222年に生まれた日です。鎌倉時代には、新しい仏教の宗派がいくつか誕生しました。その一つは、西方浄土に救いを求める浄土信仰の流れをくむ法然の「浄土宗」で、『南無阿弥陀仏』と念仏を一生懸命となえれば、人間はだれでも、来世で極楽浄土に生まれかわることができるというものでした……。

2009年  旅の歌人・西行
平安時代末期の僧侶で歌人の西行(さいぎょう)が、1190年に亡くなった日です。西行は、旅のなかにある人間として、また歌と仏道という二つの道を歩んだ人間として、宗祇や芭蕉らたくさんの人に影響を与えました。平清盛と同じ1118年に生まれ、72年の生涯を旅また旅に終わった僧の西行は、平安時代の歌人です。しかし、22歳のときにとつぜん佐藤義清という名を捨てて出家するまでは、鳥羽上皇につかえて弓の名人といわれたほどの……。

2007年  ソ連の崩壊とその後の旧ソ連邦
「子どもワールド図書館」の初版が刊行されてから、25年以上が経過しましたが、この間の最大の変貌は、前回記した「東西ドイツの統一」、そして1991年ソビエト連邦(ソ連)が、崩壊したことだといってよいでしょう……。 

2006年  「80日間世界一周」4
パスパルトゥーは、船上でふたたびフィックス刑事に会ったのでびっくりしました。彼は、フィックスが、リフォームクラブから自分たちを見張るように派遣されたスパイではないかと疑いはじめました、でも、フィリアス・フォッグには何も言いませんでした。激しい嵐にもかかわらず、一行は、次に乗るカーナティック号が日本の横浜へ向けて出航する16時間前に、香港の港に到着しました……。
投稿日:2018年02月16日(金) 05:21

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)