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最新記事【2016年10月27日】


● 今日(10月27日)の主なできごと

1931年 2つの世界新記録……東京神宮競技場で開かれた陸上競技大会で、走り幅跳びの南部忠平が7m98cm、三段跳びの織田幹雄が15m58cmで日本人初の世界記録を樹立した。そのためこの日は、「世界新記録の日」記念日となっている。


● 今日の主な記念日・恒例日

テディベアズ・デー……1858年のこの日が、テディベアの名前の由来となったアメリカ26代大統領セオドア・ルーズベルトの誕生日であることから、世界中で「心の支えを必要とする人たちにテディベアを贈る運動」が行われている。日本では日本テディベア協会が1997年から実施。

読書の日/文字・活字文化の日……「読書週間」は、毎年10月27日から11月9日までの2週間にわたり読書を推進する行事だが、初日のこの日は、特に「読書の日/文字・活字文化の日」という記念日となっている。2005年「文字・活字文化振興法」により制定。


● 今日生まれた人

1728年 クック……イギリスの探検家。オーストラリア・ニュージーランド・タヒチ島・ハワイ諸島などの発見や調査。「キャプテン・クック」

1782年 パガニーニ……イタリアの作曲家・バイオリン奏者。代表作 『ヴァイオリン協奏曲第2番』(第3楽章が「ラ・カンパネラ」)『24の奇想曲』 など。

1811年 シンガー……アメリカの発明家・実業家。家庭用ミシン発明。

1858年 セオドア・ルーズベルト……アメリカの第26代大統領。日露和平会談を仲介。

1858年 斎藤実……明治・大正期の海軍軍人・政治家。第30代首相。「二・二六事件」で射殺。


● 今日亡くなった人

1859年 吉田松陰……江戸時代末期の思想家・兵学家。「松下村塾」を開塾。

1975年 角川源義……昭和期の出版人。「角川書店」創業。

1977年 前田青邨……明治・大正・昭和期の日本画家。代表作『洞窟の頼朝』『阿修羅』など。


● 過去のマイブログ「10月27日」のテーマ

2015年ブログ  「松下村塾」と吉田松陰
幕末から明治期に、志士・政治家として活躍する高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、山県有朋、伊藤博文らを育てた思想家の吉田松陰(よしだ しょういん)が、1859年に亡くなった日です。1830年、長州藩(山口県)藩士杉百合之助の次男に生まれた松陰(通称・寅次郎)は、4歳のとき、山鹿流の兵学をつたえる吉田賢良の養子になりました。まもなく賢良が急死したため、松陰はおじの玉木文之進から学問を厳しくたたきこまれ……。

2014年ブログ 『洞窟の頼朝』 の前田青邨
梶田半古に学び、今村紫紅、安田靫彦、小林古径らと腕を競いあいながら大成した日本画家の前田青邨(まえだ せいそん)が、1977年に亡くなった日です。1885年、岐阜県中津川市に食料品店の子に生まれた前田青邨(本名・廉造)は、1898年母の死をきっかけに下宿を営む叔父を頼って上京し、京華中学に入学するものの身体をこわして帰郷しました。1901年、父の反対を押し切り画家をめざして再上京すると……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」46回目 『親子酒(おやこざけ)』
お酒の好きな親子がありまして、あるとき親父が息子に「どうも酒というのは、いろいろ間違いをおこしやすい。おまえはまだ若いんだから今が大事だ、酒をやめなさい。そのかわり、わしのほうも酒をやめる。どうだ、おたがいに禁酒しようじゃないか」と提案しました。息子も承知しました。しばらくはなんとか……。

2010年ブログ 「テディベア」 とルーズベルト
日露戦争の和平交渉に尽力したことで、ノーベル賞を受賞したアメリカの第26代大統領ルーズベルトが、1858年に生まれた日です。愛称が「テディ」だったことと、次のエピソードにより、熊のぬいぐるみのことを「テディベア」と呼ぶようになりました。1902年の秋、セオドア・ルーズベルトは熊狩にでかけましたが、獲物をしとめられません。同行していたハンターが瀕死の小熊を追いつめ、とどめの一発を大統領に頼みました。ところがルーズベルトは……。

2008年ブログ 「つじつまが合わない」 「けりをつける」
[つじつまが合わない]  話のすじがでたらめな時などに用いますが、語源は裁縫用語からきています。つじ(辻)は、裁縫で縫い目が十字に合うところ、つま(褄)は、着物のすその左右が合うところをいいます。つまり、この2つの合うべきところが合わないと、ちぐはぐな着物になってしまうことから、話の合わない不自然なことを「つじつまが合わない」というようになりました……。

2006年ブログ 「リンカーン」 のこども時代
アメリカの開拓者の子として生まれたリンカ一ンが、少年時代に学校で勉強できたのは、わずか2、3年でした。父は 「開拓者のむすこは学校へなど行くことはない。はたらくことさえ知っていればいいのだ」 という考えでしたし、さらに、家が貧しいうえに、9歳のときに母を病気で失ったりしたからです。しかし、その2、3年で文字を覚えたリンカーンは、学校へ行けないかわりに、本で勉強をしました……。
投稿日:2016年10月27日(木) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)