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2016年版 7月15日はこんな日


● 今日(7月15日)の主なできごと

1099年 第1回十字軍……ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じた第1回十字軍がこの日、イスラム教徒を敗って聖地エルサレムを占領した。

1799年 「ロゼッタ・ストーン」発見……ナポレオンのエジプト遠征の途上、フランス軍人ブシャールがロゼッタ・ストーンを発見した。これは、紀元前196年にプトレマイオス5世による勅令が刻まれた石碑の一部で、古代エジプト語の神聖文字・民衆文字、ギリシア文字で同一内容が記述されていた。これを1822年にシャンポリオンらが解読に成功、古代エジプト文明の存在が明らかとなるきっかけとなった。

1983年 ファミコン発売……この日、ゲーム機会社の任天堂がファミリーコンピュータ(通称ファミコン)を発売した。カセットを取り換えるだけで、人気ソフト「スーパーマリオブラザーズ」など、さまざまなゲームが楽しめるため大流行し、1年間で130万台を売り上げた。


● 今日の主な記念日・恒例日

盆/盂蘭盆会……13日の夕方に「迎え火」で家に迎えた先祖の霊を供養する行事で、仏前にきゅうりやなすで牛や馬の形を作ってお供えしたり、食べ物を供えたりする。月遅れの8月15日や旧暦7月15日に行う地方もある。このころに行われる「盆踊り」はお盆の儀式としてはじめられたが、最近では娯楽的な行事となっている。

中元……お盆の頃、世話になった人たちに「贈り物」をするのを「中元」というが、もともとは正月15日の上元、7月15日を中元、10月15日の下元をあわせて「三元」とする中国の習慣。これが日本に伝わって、先祖の霊や両親に贈り物をする風習とが合わさり、やがて江戸時代から商い先やお世話になった人たちに贈りものをするようになった。


● 今日生まれた人

1606年 レンブラント……オランダの画家。代表作『夜警』『フローラ』『自画像』など。

1871年 国木田独歩……明治期の小説家・詩人・ジャーナリスト。代表作『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』『源叔父』など。

1875年 高橋龍太郎……昭和期の実業家・政治家。大日本麦酒社長。「日本のビール王」

1875年 林古溪……大正・昭和期の歌人・作詞家・国漢文学者。『浜辺の歌』の作詞。

1900年 永野重雄……昭和期の実業家。新日本製鉄会長、日本商工会議所会頭歴任。

1913年 入江徳郎……昭和期のジャーナリスト・評論家・ニュースキャスター。


● 今日亡くなった人

842年 嵯峨天皇……平安時代前期の52代天皇。三筆の一人。

1595年 豊臣秀次……安土桃山期の武将。豊臣秀吉の甥で関白。

1904年 チェーホフ……ロシアの劇作家・小説家。代表作『ワーニャ伯父さん』『桜の園』など。

1924年 黒田清輝……明治・大正期の洋画家。代表作『湖畔』『読書』など。


● 過去のマイブログ「7月15日」のテーマ

2015年ブログ 「王朝文化の祖」 嵯峨天皇
「蔵人所」や「検非違使」を新設し、律令体制の手直しにつとめるなど、宮廷文化を開花させた嵯峨天皇(さがてんのう)が、842年に亡くなった日です。786年、のちに平安京(京都)に都を移す桓武天皇と皇后藤原乙牟漏(おとむろ)の第二皇子として生まれた嵯峨天皇(名・神野)は、同母の兄平城(へいぜい)天皇の即位に伴って、806年に皇太弟とされましたが、平城天皇が病気となったことから、809年、第52代天皇の嵯峨天皇として即位します……。

2014年ブログ 「悲劇の関白」 豊臣秀次
豊臣秀吉の甥で数々の武功をあげ、秀吉の養子として関白の座につきながら、切腹を命じられた豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)が、1595年に亡くなった日です。1568年、秀吉の姉の長男として尾張国に生まれた秀次(幼名・治兵衛)は、1582年信長の死後、秀吉の数少ない縁者として重用されると、翌1583年の賤ヶ岳の戦いで武功を挙げました。しかし、1584年の小牧・長久手の戦いでは徳川家康軍の奇襲を受けて惨敗したことで、秀吉から激しく非難されました。それでも、1585年の紀伊攻めや四国平定で手柄をたてたことで……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」30回目 おばけ長屋
「よう、もくべえ(杢兵衛)さん」「なんだ、現さん、何か用か」「うん、うちの隣の空き家のことだがね」「空き家がどうかしたか」「いえね、この長屋のうちに、一軒くらい空き家がなきゃ、あのいんごうな大家のやつ、店賃の値上げだなんていいかねない。なんとか、だれが来ても、あの家を貸さないですむって工夫はないもんかね」「なるほど、大家にいばられちゃたまらねぇな。よし、それじゃ、借りてぇやつがきたら、おれんとこへよこしな。おれがうまいこといって、おいかえしてやるから……。

2010年ブログ 十字軍エルサレムを占領
ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけに応じた第1回十字軍が、1099年に聖地エルサレムを占領した日です。11世紀の中ごろからの西ヨーロッパは、農業生産力が伸びたことから人口が増加して商業も活発になりました。経済的に余裕ができたカトリック信者たちは、さかんに聖地エルサレムを巡礼するようになりました。ところが、エルサレムはイスラム教の聖地でもあり、当時はセルジューク朝が支配し、ビザンツ帝国の首都コンスタンチノーブルにせまる勢いでした……。

2009年ブログ 日本洋画の父・黒田清輝
「むらさき派」と呼ばれる明るい色調の『湖畔』、『読書』などの作品を描き、わが国の洋画の発展に大きな功績を残した画家・黒田清輝(くろだ せいき)が、1924年に亡くなった日です。黒田清輝は、明治、大正時代に生きた洋画家です。1866年に薩摩藩(鹿児島)の身分の高い家に生まれ、幼くして、おじの子爵、黒田清綱の養子となると、少年時代を東京ですごしました……。

2008年ブログ 光と影の画家・レンブラント
17世紀に最盛期をむかえたオランダ絵画界にあって、「夜警」 「フローラ」 「自画像」 など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれるレンブラントが、1606年に生まれた日です。美術史上、「自画像」 をたくさん残しているのは、レンブラントと、ゴッホでしょう。ふたりは200年以上もの開きがあるのに、共にオランダ人であるというのは興味深いものがあります。共通点は、どちらも光を追い求めた画家だということ、頑固な変わり者で周囲と摩擦をおこすことが多かったこと、そのためにモデルを探すことがむずかしく手っ取り早く自画像をえがいたこと……。

2005年ブログ ミニコンサート
最近、土日のいずれかの休日は、自宅から歩いて7、8分のところにある井の頭公園を散策することが多い。井の頭公園駅のほうから入り、井の頭池に浮かぶたくさんの足こぎボートを左に見ながら池沿いの通路を歩くと、両側にフリーマーケットというのか出店がずらりとならんでいる。アクセサリー、古着、古本などのお店、似顔絵かき、ギターやバイオリンなどを演奏したり歌ったりする若者のグループ、ギター片手にハーモニカを吹きながら踊って歌う古老おじさんがいるかと思えば、子どもや親たちを前にリクエストに答えて作るバルーンアート、アカペラ4人組など等々……、なんともにぎやかである……。
投稿日:2016年07月15日(金) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)