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2016年版 6月28日はこんな日


● 今日(6月28日)の主なできごと

1570年 姉川の戦い……近江国で、織田信長・徳川家康連合軍がこの日、浅井長政・朝倉義景連合軍を打ち破った。浅井が妻の兄信長を裏切って朝倉と手を組み、2万1千の兵で3万4千の織田・徳川連合軍に挑み、双方数千人の死者を出す激戦となったが敗れ、浅井、朝倉両氏滅亡の遠因となった。

1840年 アヘン戦争……当時イギリスは、中国(清)との貿易赤字を解消しようと、ケシから取れる麻薬アヘンをインドで栽培させ、大量に中国へ密輸していた。清がこれを本格的に取り締まりはじめたため、イギリスは清に戦争をしかけて、「アヘン戦争」が始まった。

1914年 サラエボ事件……1908年からオーストリアに併合されていたボスニアの首都サラエボで、この日オーストリア皇太子夫妻が過激派に暗殺される事件がおこり、第一次世界大戦の引き金となった。

1919年 ベルサイユ講和条約……この日、第一次世界大戦の終結として結ばれた「ベルサイユ講和条約」だったが、敗戦国ドイツに対しあまりに厳しい条件を課したことがナチスを台頭させ、第二次世界大戦の遠因となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

貿易記念日……1859年(安政6年)5月28日(新暦6月28日)に、江戸幕府がロシア・イギリス・フランス・オランダ・アメリカの5か国に、横浜・長崎・箱館(函館)での自由貿易を許可する布告を出したことにちなみ、1963年に自由貿易推進のために閣議決定し、通商産業省(今の経済産業省)が制定。


● 今日生まれた人

1491年 ヘンリー八世……イギリス・チューダ朝第2代イングランド王。首長令を発布し「イングランド国教会」を始め、ローマ法王から独立して自ら首長となった。

1577年 ルーベンス……フランドルの画家・外交官。代表作『キリストの磔刑』ほか、祭壇画・肖像画・風景画・神話画・寓意画など。

1712年 ルソー……フランスの思想家。多方面で独自の思想をつづるフランス革命の理論的指導者。

1865年 長岡半太郎……明治・大正・昭和期の物理学者。土星型原子模型提唱。

1890年 古今亭志ん生 (5代目)……大正・昭和期の落語家。


● 今日亡くなった人

1951年 林芙美子……昭和期の女流小説家。代表作『放浪記』『浮雲』『めし』など。

2007年 宮沢喜一……昭和・平成期の政治家。第78代首相。


● 過去のマイブログ「6月28日」のテーマ

2013年ブログ 「おもしろ古典落語」123回目 『天災(てんさい)』
「ご隠居、まっぴらごめんなせぇ」「だれだ、そうぞうしい、なんだ八公か。おめってやつは、どうしてものごとに乱暴なんだ。3日もあけず、親子げんかに夫婦げんか。人の家へ入ってくるなりあぐらをかく。いいか、『親しき仲にも礼儀あり』っていうだろ。ちゃんと座りなさい」「どうぞおかまいなく」「おかまいなくっていうやつがあるか。で、いったいなんの用があってきたんだ」「へぇ、すいませんが、ちょいと、離縁状を二本書いてくんなせぇ」「ばかやろう、女房はひとりだろ、1本で足りるはずだ」「もう1本は、うちのばばぁにやるんで」「あきれた野郎だな、ばばぁってぇのは、おまえのおふくろだろう……。

2012年ブログ 「おもしろ古典落語」75回目 『笠碁(かさご)』
「碁がたきは 憎さも憎し なつかしし」と、川柳にもあるくらいわずか一目か二目で仲のよい友だちが、たちまちケンカになったりします。ケンカになるくらいですから、腕まえのほうは似たりよったり、ほかの人とやればいいのに、やっぱりあいつでなくちゃ…というのが碁がたきというもののようです。よい碁がたきの伊勢屋のだんなと吉兵衛という商人が、ウマがあうのか毎日のように石を並べあっています。いつもお互いに待った、待ったのくり返しなので、「そんなことでは上達しない」と碁の達人の隠居にいわれ、伊勢屋の旦那は、今後いっさい「待ったなし」にしようということで、吉兵衛も納得……。

2011年ブログ 落語名人・古今亭志ん生
20世紀を代表する名人のひとりといわれた落語家の5代目古今亭志ん生(ここんてい しんしょう)が、1890年に生まれた日です。東京神田に、貧しい警官の5男に生まれた志ん生(本名・美濃部孝蔵)は、11歳の頃から奉公先を転々としながら生活するうち、1907年に橘家円喬に入門、三遊亭盛朝を名乗りました。以後、朝太、園菊、馬太郎、志ん馬、馬生など、1931年に(5代目)古今亭志ん生を名乗るまで、16回も改名しました。それも、貧乏生活を送ってきたことによる借金からの逃亡と、酒による放蕩ぶり……。

2010年ブログ 『放浪記』 の林芙美子
名もなく・貧しく・たくましく生きる庶民の暮らしを、みずからの体験をもとに描いた作品で名高い女流作家 林芙美子(はやし ふみこ) が、1951年に亡くなった日です。1903年、林芙美子は山口県下関市 (北九州・門司 という説もあります) に生まれました。父は雑貨を売ってあるく行商人でした。やがて、父と別れることになった母キクは、6歳の芙美子をつれて行商の旅に出ました。この日から、芙美子の家は日によって泊まるところの変わる木賃宿になりました。芙美子は、木賃宿から小学校にも通いましたが、10数回も転校しなければなりませんでした……。

2007年ブログ 第1次世界大戦のきっかけと終結した日
今日は、第1次世界大戦のきっかけとなったオーストリア皇太子暗殺事件のおきた日(1914年)であり、世界大戦の終結としてベルサイユ講和条約が結ばれた日(1919年)でもあります。当時、ヨーロッパではドイツを中心とした新興勢力と、イギリスを中心とした勢力とがたがいにいがみあっていました。ドイツの工業力はイギリスをしのぐまでに伸びたのに、その売り先としてイギリスのような広大な植民地がありません。なんとかしてイギリスの植民地を手に入れたいと軍備をそなえてきました。そういう動きを察知したイギリスは、ロシアやフランスと同盟をはかり、ドイツに負けずに軍備をおこたりません……。

2005年ブログ 為せば成る
不渡り手形の代償として、当方の弁済要求に対し、はじめのうちは不可能一点張りのJ・チェーンの幹部たちだったが、やがて心が通じだし、一両日のうちに入金の見込みがあるので待機してほしいという。私は、車の中で待っているからと伝えた。1976年8月下旬のこと、残暑が身にこたえたが弱音をはくわけにはいかない。この待機している時間に、思わぬ縁にめぐまれることになった。茨城県で農業のかたわら加盟店をやっているというF氏との出会いである。J・チェーンの内部事情に詳しい好人物で、当社の童話シリーズはどの地区の誰々がどの程度売っているということを、実によく知っている……。
投稿日:2016年06月28日(火) 05:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)