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2016年版 6月2日はこんな日


● 今日(6月2日)の主なできごと

1180年 福原遷都……この日平清盛が、安徳天皇を奉じて福原(今の神戸市兵庫区)に都をうつした。同年11月に平安京にもどす。

1582年 本能寺の変……天下統一を目前にした織田信長が、家臣明智光秀の謀反により自刃した事件「本能寺の変」がおきた。中国の毛利攻めに苦戦している羽柴秀吉の応援を命じられた光秀は、進軍の途中で行先を変更し、京都の本能寺にいる織田信長を襲った。この事件にちなみ、この日は「裏切りの日」ともいわれている。

1909年 両国国技館で初の大相撲……これまで室外で行われていた相撲は、2日前に両国国技館が完成したことで、この日初めて室内で実施した。

1953年 エリザベス2世戴冠……1952年にイギリス国王に即位したエリザベス2世女王の戴冠式が、ロンドンのウェストミンスター寺院で行なわれた。女王パレードには、100万人以上の人が歓迎したと伝えられている。元首の地位は名義的なものではあっても、イギリス連邦の団結や各国との親善の役割に大きな貢献。2015年にはビクトリア女王を抜いて、イギリス史上最長在位の君主となった。

1986年 死んだふり解散……中曽根康弘首相は、早期解散はとても無理だと思わせながら、この日の臨時国会召集日に、とつぜん冒頭解散をした。政府は7月6日に参院選と同時に衆院選を行うことを決定し、史上2度目の衆参同日選挙となって、自民党の圧勝となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

横浜港開港記念日/長崎港記念日……1859年のこの日、前年に締結された日米修好通商条約により、それまでの下田・箱館(今の函館)につづき、神奈川(今の横浜)と長崎の港が開港したことを記念して制定。


● 今日生まれた人

1740年 サド(サド侯爵) ……フランスの小説家。代表作『悪徳の栄え』『美徳の不幸』など。サディズム(サド)の名の由来。

1857年 エルガー……イギリス作曲家。代表作『エニグマ変奏曲』『威風堂々』など。

1891年 大西瀧治郎……昭和期の海軍軍人。神風特攻隊を創設。

1932年 小田実……昭和・平成期の小説家・評論家。代表作『何でもみてやろう』など。ベ平連結成。


● 今日亡くなった人

1716年 尾形光琳……江戸時代中期・元禄期の画家。代表作『紅白梅図屏風』『燕子花図屏風』など。

1743年 尾形乾山……江戸時代中期の陶工・絵師。尾形光琳の弟。

1882年 ガリバルディ……イタリアの軍人。イタリア王国統一の立役者。

1890年 松平慶永(松平春嶽)……幕末から明治期の越前藩主。公武合体を推進。

1952年 デューイ……アメリカの哲学者・教育学者。


● 過去のマイブログ「6月2日」のテーマ

2015年ブログ 「乾山焼」 の尾形乾山
芸術性の高い陶器から、庶民に親しまれた暖かみのある絵付け食器まで、幅広い作品で知られる江戸時代中期の陶工・絵師の尾形乾山が、1743年に亡くなった日です。1663年、京都の富裕な呉服商・雁金屋の三男として生まれた尾形乾山(本名・権平)は、6歳年上の兄に光琳がいて、尾形家が本阿弥家と縁戚にあったため、幼少のころから兄弟で蒔絵の模作を試みていたといわれています……。

2014年ブログ 「プラグマティズムの大成者」 デューイ
20世紀前半のアメリカ哲学・教育・思想界を代表するデューイが、1952年に亡くなった日です。1859年、バーモント州バーリントンの小規模な食料品店を営む両親の3男に生まれたジョン・デューイは、少年のころから新聞配達や農場の手伝いなどをしながら生活の手助けをし、15歳で名門バーモント大学に入学してダーウィンの進化論、コントの実証主義哲学などを学びました……。

2011年ブログ 「おもしろ古典落語」24回目 宿屋の富
「富」というのは今の「宝くじ」のようなもので、江戸時代には、たいそう流行っていました。江戸・馬喰町のあまりはやらない宿屋に、長いこと泊っている男がいます。「ちょいとお前さん。2階のお客さん、もう20日も逗留してるよ」「結構じゃないか」「喜んでちゃ困るよ。何だかおかしくないかい。深みにはまらないうちに、何とかしたほうがいいよ」「そんなら、おまえが催促してこい……。

2010年ブログ 本能寺の変
天下統一を目前にした織田信長が、家臣明智光秀の謀反により自刃した事件「本能寺の変」が、1582年におきた日です。この日 織田信長 は、京都の本能寺に宿をとって、中国地方の毛利氏を討つための準備をすすめていました。これまでに信長は、京を中心とした畿内とその周辺を手中に収め、甲斐の武田を滅ぼし、関東の北条、東北の伊達、九州の大友や島津なども信長に味方する姿勢を見せていたため、残る大きな敵は毛利氏でした……。

2009年ブログ イタリア統一の闘士・ガリバルディ
19世紀中ごろまでたくさんの国に分かれていた上、フランスやオーストリアなどに支配されていたイタリアを、イタリア王国として統一させたガリバルディが、1882年に亡くなった日です。ジュゼッペ・ガリバルディは、1802年に、今では地中海に面する世界的に有名な観光都市であるニース (当時、皇帝 ナポレオン 1世による軍事独裁政権─第一帝政下のフランス領) に生まれました。成人して船乗りとなったガリバルディが、初めて戦いの火をかかげたのは、27歳のときでした。統一運動の指導者マッチーニが結成したイタリア青年党に加わり……。

2008年ブログ 頭をたたかれた男の子
ある花屋の店先でのことです。母親に連れられた3、4歳の男の子が、花屋の前に並べてある鉢へ走り寄ると、いきなり、鉢の花を手にかけて、その花を摘みとろうとしました。あわてた母親は 「あっ、だめでしょ」 と叫ぶと、花の茎をつかんでいる子どもの手首を握って、まぎれもなく叱る時の声で 「離しなさい、早く離しなさい」。そして、子どもがやっと花から手を離すと 「お花がかわいそうでしょ」 と、いかにもその場をつくろうように、子どもを引きずるようにして向こうへ行き、やがて 「どうしてあんなことをするの」 の声といっしょに、子どもの頭をポカリ……。

2005年ブログ 英国レディバード社との出会い
私が英国レディバード社の刊行する「レディバード・ブックス」と、神保町にある洋書店で出会ったのは、子ども向け文庫判シリーズ企画が受け入れてもらえず、悶々としているころのことだった。レディバードの絵本シリーズは、文庫判よりちょっと縦長で、1冊56ページ、オールカラー、コンパクト判の上製本なのに、当時の定価で100円程度、驚くほど廉価だった……。
投稿日:2016年06月02日(木) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)