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2016年版 5月10日はこんな日


● 今日(5月10日)の主なできごと

1863年 下関事件……長州藩は下関海峡を通るアメリカ商船を攻撃した。これが下関事件。孝明天皇の命により14代将軍徳川家茂が5月10日を攘夷期限と奏上したことに呼応したもので、他に実行する藩はなかった。長州藩はフランス艦、オランダ艦にも発砲、6月1日には米・仏艦が報復攻撃に来航するなど、長州藩は苦境に立つことになった。

1871年 円誕生……近代日本貨幣法として「新貨条例」が制定され、「円」が誕生した。円の100分の1を「銭」、現在はほとんど使われないが、銭の100分の1を「厘(りん)」とすることも決められた。


● 今日の主な記念日・恒例日

日本気象協会創立記念日……1950年のこの日、気象情報の伝達・配布、気象調査、気象知識の普及等を行う「気象協会」が創設されことにちなむ記念日。1966年に関西気象協会・西日本気象協会と合併し、現在の「日本気象協会」の名称になった。

コットンの日……5(こ)ten(テン)の語呂合せと、綿が夏物素材として最盛期を迎えることから、日本紡績協会が1995年に制定。


● 今日生まれた人

1846年 和宮……孝明天皇の異母妹で、幕末期に「公武合体」のため江戸幕府14代将軍徳川家茂に嫁ぐ。

1888年 スタイナー……アメリカの映画音楽作曲家。代表作『風と共に去りぬ』『カサブランカ』など。

1904年 桑原武夫……昭和期のフランス文学者・文芸評論家。代表著作『文学入門』『日本の名著』など。

1925年 橋田壽賀子……昭和・平成期の脚本家。代表作 『愛と死をみつめて』『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』など。


● 今日亡くなった人

1398年 洪武帝……明(中国)の初代皇帝。

1904年 スタンリー……アメリカの探検家・ジャーナリスト。遭難したリビングストンを発見。

1909年 二葉亭四迷……明治期の小説家・翻訳家。代表作『浮雲』『あひゞき』など。

1930年 下村観山……明治・大正・昭和初期の日本画家。

1987年 平沢貞道……昭和期のテンペラ画家。帝銀事件で逮捕された死刑囚。刑の執行も釈放もされないまま、逮捕から39年間を獄中で過ごす。


● 過去のマイブログ「5月10日」のテーマ

2013年ブログ 華麗な作風を完成させた下村観山
横山大観や菱田春草らとともに明治から昭和初期に活躍した日本画の大家・下村観山(しもむら かんざん)が、1930年に亡くなった日です。1873年、紀州徳川家おかかえの能楽師の家系の子として和歌山市に生まれた下村観山(本名・晴三郎)は、1881年に一家とともに東京へ移住しました。幼いときから絵の好きだった観山は、はじめ藤島常興に狩野派の手ほどきを受けた後、狩野芳崖に学びました。芳崖は、近代日本画の父といわれるほど激しい気概の持ち主で……。

2012年ブログ 「初アフリカ横断」 のスタンリー
アフリカで遭難したリビングストンを発見したことや、初めてアフリカを横断したことで有名なジャーナリスト・探検家のスタンリーが、1904年に亡くなった日です。1841年、イギリス・ウェールズ北部のデンビーに私生児として生まれたスタンリー(幼名ジョン・オーランズ)は、2歳の時に父を亡くし、母は育児を放棄したため5歳まで祖父の元ですごしたのち、10年近くも孤児院で暮しました。しかし、あまりに乱暴な監督に反抗して脱走……。

2011年ブログ 『浮雲』 の二葉亭四迷
初の言文一致体小説『浮雲』や、ロシアの作家ツルゲーネフの翻訳『あひゞき』など、明治時代に活躍し「近代日本文学の創設者」ともいわれる二葉亭四迷(ふたばてい しめい)が、1909年に亡くなった日です。1864年、尾張藩士の子として江戸の藩邸で生まれた四迷(本名・長谷川辰之助)は、幼少のころから漢学や武道に親しみました。5歳のときに明治維新となり名古屋に移って成長、軍人をめざしましたが近視のためにかなわず……。

2010年ブログ セポイの反乱
イギリスの支配から逃れようとインド人がおこした反乱(セポイの反乱)が1857年におきた日です。2年以上にわたる反乱もイギリスが制圧してインドを植民地化、偉大な指導者 ガンジー やネルーがあらわれるまで、100年近くも支配を続けました……。

2007年ブログ 自分の行動には、はっきり責任を持たせる
小学校の体育館で、人形劇が行なわれたときのことです。幕間の10分の休けい時に、子どもたちが座席をはなれてさわぎはじめました。会場係の人がマイクで 「みなさん静かにしてくださいね。走りまわらないでくださいね」 と呼びかけてもなかなか静まりません。そのうち、うしろの方で大きな音がしたと思うと、女の子が火がついたように泣きだしました……。

2006年ブログ 最後の一葉
「最後の一葉」(オー・ヘンリー作)のあらすじは次の通りです。そまつな3階建のアパートに住むジョンジーは、肺炎におかされ、しだいに生きる気力を失っていく。そして窓から見える壁を見つめては、12、11、10、9、8、7、と数えつづけ、深いため息をつく。 1枚、また1枚と落ちながらもくずれかけたレンガにしがみついている、つたの葉を数えては、あの葉が散ってしまうとき自分のいのちも終わるのだ、と思う……。
投稿日:2016年05月10日(火) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)