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2016年版 6月10日はこんな日


● 今日(6月10日)の主なできごと

1794年 新井白石『西洋紀聞』幕府に献上……キリスト教布教のために密航してきたイタリア人宣教師シドッチを、徳川6代将軍家宣に仕えた新井白石が審理し、その内容をまとめた書で1715年ころに完成していたが、この日幕府に献上された。諸外国の歴史・地理・風俗やキリスト教の大意と、それに対する白石の批判などが記されているものの、鎖国下のため公にされず、秘かに写本によって伝えられ、広く流布するようになった。

1900年 「義和団の乱」鎮圧に8か国連合軍出動……義和団という秘密結社による排外運動、(義和団の乱)に対し、当時清の政治の全権を握っていた西太后がこの乱を支持したため、在中国イギリス公使の要請により日米英独仏伊墺露の8か国連合軍がこの日、清の首都北京へ侵攻を開始。2か月後に連合軍は北京及び紫禁城を制圧、清朝は莫大な賠償金の支払いを余儀なくされ、衰退を早めることになった。


● 今日の主な記念日・恒例日

時の記念日……「日本書紀」によると、671年のこの日(グレゴリオ暦換算)、 天智天皇 が「漏刻」という水時計を作り鐘を打った日と記されている。東京天文台と生活改善同盟会はこれを記念して1920年、「時間を大切にすることを、改めて考え直そう」と呼びかけて制定。


● 今日生まれた人

1628年 徳川光圀……江戸時代前・中期の水戸藩主。水戸黄門の名でしたしまれ、『大日本史』編纂。

1777年 田能村竹田……江戸時代後期の南画家。代表作『歳寒三友双鶴図』『亦復一楽帖』など、多数の重要文化財。

1819年 クールベ……フランスの写実画家。代表作『オルナンの埋葬』『画家のアトリエ』など。

1832年 オットー……ドイツの発明家。4サイクル機関の開発。

1836年 山岡鉄舟……幕末から明治期の幕臣・思想家。

1910年 久野収……昭和・平成期の哲学者・評論家・平和運動家。

1928年 センダック……アメリカの絵本作家。代表作『かいじゅうたちのいるところ』『まよなかのだいどころ』『まどのそとのそのまたむこう』など。


● 今日亡くなった人

BC323年 アレクサンドロス大王……古代マケドニア王。3大陸にまたがる世界帝国。

1017年 源信(恵心僧都)……平安時代中期の天台宗僧侶。『往生要集』を著し浄土教を広める。

1216年 鴨長明……平安時代末期から鎌倉時代前期の歌人・随筆家。代表作『方丈記』。

1836年 アンペール……フランスの物理学者。電流単位A(アンペア)の名の由来。

1858年 ブラウン……イギリスの植物学者。ブラウン運動発見。

1863年 緒方洪庵……江戸時代後期の蘭医・教育者。「適々斎塾(適塾)」を開き、福沢諭吉や大村益次郎らを指導。

1926年 ガウディ……スペインの建築家。代表作『サグラダ・ファミリア聖堂』『グエル公園』『カサ・ミラ』など。

1936年 土田麦僊……大正・昭和期の日本画家。代表作『舞妓林泉』『大原女』など。

1992年 中村八大……昭和・平成期の作曲家。代表作『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』『遠くへ行きたい』など。

1993年 猪俣公章……昭和・平成期の作曲家。代表作『港町ブルース』『おふくろさん』『千曲川』など。

1996年 宇野千代……大正・昭和・平成期の女流作家。代表作『生きて行く私』『色ざんげ』『おはん』など。

1998年 吉田正……昭和・平成期の作曲家。代表作『異国の丘』『有楽町で逢いましょう』『潮来笠』など。国民栄誉賞(第13号)。


● 過去のマイブログ「6月10日」のテーマ

2015年ブログ 『スキヤキ・ソング』 の中村八大
『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』『遠くへ行きたい』など、1950年代末から1960年代にヒット曲を量産した作曲家の中村八大(なかむら はちだい)が、1992年に亡くなった日です。1931年、今の中国の青島(チンタオ)に生まれた中村八大は、小学3年のときからドイツ人の音楽家からピアノを学び、1945年に福岡県久留米市へ引き揚げ、旧明善中学を卒業後に上京、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学英文学科を卒業しました……。

2014年ブログ 「舞妓の画家」 土田麦僊
『舞妓林泉』『三人の舞妓』『湯女(ゆな)』『島の女』など、はなやかで大胆な構図を得意とした日本画家の土田麦僊(つちだ ばくせん)が、1936年に亡くなった日です。1887年、新潟県佐渡島の農家に生まれた土田麦僊(本名・金二)は、子どものころから絵の上手な少年として注目され、小学校の先生は父に画家をめざすように勧めるほどでした。ところが画家など旅の貧乏絵師くらいにしか考えなかった父はこれを許さず……。

2013年ブログ 「電気学のニュートン」 アンペール
フランスの物理学者・数学者・化学者で、電磁気学の創始者として知られているアンペールが、1836年に亡くなった日です。電流の強さを表す単位であるアンペア(A)は、アンペールの名を記念してつけられました。1775年、フランス中南部の都市リヨン郊外の村にある商人の子として生まれたアンドレ・アンペールは、幼いころから知識欲が強く、14、5歳のころにはビュフォンの『博物誌』や、ディドロらの『百科全書』20巻を読破したばかりか……。

2011年ブログ アレクサンドロス大王
古代マケドニア王で、ギリシア、エジプトを従え、ペルシア帝国を滅ぼして、3大陸にまたがる世界帝国を築き上げたアレクサンドロス(英語読み・アレクサンダー)3世が、紀元前323年33歳の若さで急死した日です。その偉大な生涯により「大王」と尊称されています。古代マケドニアは、東に大帝国ペルシア、南西に古代ギリシアの2大勢力にはさまれた小国でした……。

2010年ブログ 浄土教と源信
平安時代中ごろの天台宗の僧で、『往生要集』を著して浄土教を広め「恵心僧都(えしんそうず)」と讃えられた源信が、1017年に亡くなった日です。源信が、まだ15歳のころ、仏教を深く学んでいることがみとめられて朝廷へまねかれ、法華経の講義をしてたくさんのほうびをもらいました。源信は、その喜びを母へ伝えました。すると、母からの返事には、きびしいことばがつづられていました……。

2009年ブログ 水戸黄門の徳川光圀
水戸黄門の名でしたしまれ、徳川家康 の孫にあたる第2代水戸藩主の徳川光圀(とくがわ みつくに)が、1628年に生まれた日です。光圀は、1628年に初代の水戸藩主徳川頼房の三男として生まれましたが、6歳のときには、江戸幕府3代将軍徳川家光 の命令で、兄をさしおいて父のあとをつぐことが決まっていました……。

2008年ブログ 江戸時代後期の教育者・緒方洪庵
大阪に適塾を開き、福沢諭吉や大村益次郎らを育てた蘭医・教育者として大きな功績を残した緒方洪庵(おがた こうあん) が、1863年に亡くなった日です。緒方洪庵は、日本の西洋医学の基礎を築いたばかりでなく、橋本佐内、大村益次郎、大鳥圭介、佐野常民、福沢諭吉ら、近代日本の夜明けに偉大な足跡を残した人たちを育てた、大きな功績があります。洪庵が、松下村塾をひらいた吉田松陰とならび称されるのはそのためです……。

2005年ブログ 無認可保育園に活路を求めて
幼稚園がだめなら保育園に販路を求めようと、まず公立の保育園のいくつかに当たってみた。幼稚園とちがって、保育園の保母さんの何人かは興味を示してくれて、個人的に予約をくれる人が少しずつ現れたが、公立保育園では原則として園児にあっせんすることは禁止されているという。そのため、大量予約というわけにはいかない。そんなある日、定員が8人という無認可保育園へ飛びこんだ……。
投稿日:2016年06月10日(金) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)