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2016年版 6月13日はこんな日


● 今日(6月13日)の主なできごと

1582年 山崎の合戦……京都の本能寺で、主君織田信長を自害させた明智光秀は、その11日後のこの日、羽柴(のちの豊臣)秀吉との「山崎の合戦」に敗れ、逃走中に雑兵に刺殺された。

1798年 『古事記伝』完成……国学者の本居宣長は、30年以上を費して『古事記伝』全44巻を完成させた。『古事記伝』は、日本最古の歴史書『古事記』の詳しい注釈書で、仏教や儒教に頼ることなく、日本に古くから伝わる『万葉集』や『源氏物語』などの研究を基礎にした、宣長の学問の集大成といわれている。


● 今日の主な記念日・恒例日

はやぶさの日……2010年のこの日、小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」までの7年間の旅を終えて地球に帰還したことで、宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所のある神奈川県相模原市が2012年に制定。

小さな親切の日……1963年、東大の卒業式の告辞の中で、茅誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけとなり、同年のこの日、茅氏を始めとする8名の提唱者が「小さな親切」運動本部を発足させた。これを記念して制定。


● 今日生まれた人

1861年 白瀬矗……明治期の陸軍軍人・探検家。日本人初の南極探検。

1865年 イェーツ……アイルランドの詩人・劇作家。代表作『塔』(詩集)『鷹の井戸』(戯曲)など。アイルランド文芸復興運動、独立運動に貢献。

1915年 和歌森太郎……昭和期の日本史学者・民俗学者。

1920年 梅棹忠夫……昭和・平成期の民俗学者。代表著作『知的生産の技術』など。


● 今日亡くなった人

1224年 北条義時……鎌倉幕府第2代執権。執権政治の基盤を形成。

1582年 明智光秀……戦国時代の武将。「本能寺の変」で主君信長を討つも、「山崎の戦い」で秀吉に敗れ、敗走中に雑兵により殺害。

1931年 北里柴三郎……明治・大正・昭和期の細菌学者。ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など「日本細菌学の父」

1948年 太宰治……昭和期の小説家。代表作『人間失格』『走れメロス』『斜陽』『晩年』 など。
 
2002年 村田英雄……昭和・平成期の演歌歌手。代表曲『王将』『無法松の一生』『人生劇場』など。

2006年 岩城宏之……昭和・平成期の指揮者・打楽器奏者。


● 過去のマイブログ「6月13日」のテーマ

2014年ブログ 「承久の乱」 と北条義時
鎌倉幕府を創始した源頼朝の妻北条政子の弟で、政子や大江広元らに支えられて執権政治の基盤をこしらえた第2代執権の北条義時(ほうじょう よしとき)が、1224年に亡くなった日です。1163年、初代執権北条時政の次男として生まれた北条義時は、1180年に父とともに源頼朝の平氏追討の旗揚げに加わり、石橋山合戦に敗れるものの安房に逃れ、房総や武蔵の武士団を組織化することに成功して、鎌倉を本拠とする鎌倉幕府の原型をつくりあげました……。

2013年ブログ  [おもしろ民話集 88] ミツバチの女王
むかし、三人の王子がいて、上の二人の王子は冒険がしたくなって旅に出ました。でも、遊ぶのが楽しくなって、家にもどれないほど、おちぶれてしまいました。そこで「お人よし」とあだ名されている末の王子が、兄たちを探しにいくことになりました。苦労して二人を見つけたところ「おれたちは、おまえよりずっとりこうなのに、やっていけなかったんだ。おまえがやっていけるわけがない」と、ばかにしました……。

2012年ブログ 主君を討った明智光秀
戦国大名・織田信長の重臣の一人でありながら「本能寺の変」をおこして信長を討ったものの、秀吉との戦いに敗れた明智光秀(あけち みつひで)が、1582年に亡くなった日です。光秀の出身地は不明ですが、美濃(今の岐阜県南部)の守護土岐氏の支族として生まれたと思われます。父の死後、諸国を放浪したのち越前の朝倉氏に仕え、のちに室町幕府15代将軍となる足利義昭を通じて1568年ころから織田信長に仕え、信長が入京すると秀吉らと共に京都や近辺の政務にあたったことが文書に残されています……。

2011年ブログ 日本初の南極探検家・白瀬矗
明治時代の探検家で、千島探検、北極探検などをへて、南極を探検したことで知られる 白瀬矗(しらせ のぶ)が、1861年に生まれた日です。秋田県の現・にかほ市にある寺の住職の長男として生まれた白瀬は、幼い頃から冒険心にとみ、野ぎつねと戦ってきつねののシッポをもぎとったほど腕白でした。11歳の頃に寺子屋の教師から北極の話を聞き、探検家を志すようになります。教師は白瀬に、酒・煙草・茶・湯を絶ち、寒くても火にあたらないという5つの戒めを教えました……。

2008年ブログ 三鷹市と太宰治
当社 「いずみ書房」 のある三鷹市と縁の深かった作家 太宰治(だざい おさむ) が、1948年に亡くなった日です。『晩年』 『斜陽』 『人間失格』 などの作品で知られる太宰治は、雪のふかい青森県北津軽郡の出身です。1909年6月19日、大地主で、県会議員でもある父のもとに6男として生まれた太宰治(本名津島修治)は、使用人が10数人もいる、大きな家に住み、めぐまれた少年時代を送りました……。

2007年ブログ  [おもしろ民話集 1] お嫁さんの鼻にくっついたソーセージ
ある町に、ハンスという名前の男と、そのお嫁さんがいました。ふたりはそれほど貧乏ではありませんでしたが、ハンスもお嫁さんも、すこしばかり欲張りでした。「町長さんのように、広い土地とりっぱな家に住みたいな」「私は、世界で一番りっぱな宝石がほしい。それに、お姫様のように美しくなりたい」ハンスとお嫁さんは、いつもこんな大きなことを望んでいました。ある晩のことです……。

2005年ブログ 「日本遊戯協会」とは?
「何か困ったことがあったら、職業別電話帳を最初から最後までめくってみることだ。何らかのヒントがあるはず。あの分厚い電話帳には、ありとあらゆる業種がくまなく入っている上に、連絡先まで教えてくれているのだから・・・」。社会思想社の編集部にいたころ、著者だったT氏の言葉を思い出していた。T氏はあるテレビ局のディレクターをやっていて、主として当時の若者の実態をドキュメンタリー番組にすることで定評を得ていた……。
投稿日:2016年06月13日(月) 05:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)