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最新記事【2015年10月22日】

今日10月22日は、「20世紀最大のチェリスト」といわれ、チェロ演奏家・指揮者・作曲家として世界的に活躍したスペインのカザルスが、1973年に亡くなった日です。

1876年、スペイン・カタルーニャ地方のバンドレルに生まれたパブロ・カザルスは、幼少のころから教会オルガン奏者の父と教育熱心な母から感化を受け、4歳でピアノを始めました。6歳で作曲をするようになり、8歳でバイオリン独奏、ペダルに足が届くようになった9歳からオルガンを始め、12歳の頃にはたいていの楽器を巧みに操り、特にチェロを弾くのが大好きになりました。

1888年バルセロナに移住すると、市立音楽院に入学し、チェロ、ピアノ、音楽理論、作曲などを学びながら、チェロはガルシアに、作曲は音楽院長ロドレダに師事しました。14歳のときのチェロ演奏が評判となり、遠方からも客が来るようになりました。やがて王室の援助をうけるようになって王立音楽院を卒業すると、1895年にバリのオペラ座に迎えられ、正式にチェロ奏者として演奏活動に入りました。翌1896年にはバルセロナ歌劇場の主席チェロ奏者となり、ニューヨーク、マドリード、ブリュッセル、ロンドンなどの演奏会も成功させて、世界的に有名になりました。

カザルスの功績は、これまでのチェロという楽器が、ピアノやバイオリンに隠れ、脇役的で地味な存在だったのを、「主役」に高めたことでしょう。太く、たっぷりとした響き、底力のある表現、深々とした味わいの魅力に、市民権を与えました。当時のチェロ奏法は、両ひじを両脇につけるという窮屈なものだったのを、右手を脇から自由にして弓による表現性を広げ、左手も脇から離し、指の間隔を拡張させて同じポジションで半音広く弾くことができるように演奏改革をしたのでした。特に、単なる練習曲と考えられていたバッハの『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、1904年に初めて公開演奏するなど、生涯にわたり広く紹介したことは、高く評価されています。

1905年には、ピアノのコルトー、バイオリンのティボーと結成した三重奏団「カザルストリオ」は、歴史に残る数々の室内楽の名演奏を生み出し、20世紀最大の三重奏団といわれました。いっぽう、1919年にはバルセロナにパブロ・カザルス楽団を創設し、指揮者としての活動もしました。

1931年に発足したスペイン共和制に協力し、1936年の内乱の際には公演の収益で共和派を援助しましたが、その後フランコ政権によるファシストの専制になると「私の国が自由になるまでこの国には帰らない」と宣言、南フランスのプラードに隠棲しました。1945年6月から演奏活動を再開するものの、各国政府がフランコ政権を容認したことに抗議して11月から演奏活動を再停止しました。1950年、バイオリン奏者シュナイダーの説得によってカザルスを音楽監督とするプラード音楽祭が開催されました。1955年には、カザルスの母とカザルスの妻の故郷であるプエルトリコに移住し、演奏活動や教育活動を続けました。

カザルスは平和活動家としても著名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動したこともよく知られています。3度目となるニューヨーク国連本部での演奏は、1971年10月24日の国連25周年を祝う「国連デー」の音楽会で行われ、カザルス自ら作曲した『国連讃歌』を見事に指揮し、最後にはカタルーニャ民謡を編曲した『鳥の歌』を独奏、「空飛ぶ鳥は、羽ばたきながら、ピース、ピース、ピースと歌うのです」と締めくくり絶賛を浴びたのでした。


「10月22日にあった主なできごと」

794年 平安京に遷都…桓武天皇はこれまでの長岡京から、この日平安京に都を移しました。南北を38町に区切り、39の大路・小路を東西に通して1条から9条に分けた京の都は、東京に移るまで1100年近くも続きました。

1906年 セザンヌ死去…ゴッホ、ゴーガンと並ぶ後期印象派の巨匠、20世紀絵画の祖といわれる画家セザンヌが亡くなりました。

1962年 キューバ危機…「ソビエトがキューバに攻撃用ミサイル基地を建設中」との情報を入手したアメリカのケネディ大統領は、この日全米に「海上封鎖を予告する」とテレビで演説、ソビエトのフルシチョフ首相に対し「封鎖を破るものは、ソ連船でも撃沈する」と警告を発しました。ソビエトはこれをアメリカの海賊行為と非難したため、核戦争の始まりかと世界中を震撼させました。しかし28日、ソビエトはミサイル基地の撤去を発表、危機は回避されました。
投稿日:2015年10月22日(木) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)