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最新記事【2015年06月29日】

今日6月29日は、明治初期に「臥雲式紡績機」(ガラ紡)を発明し、日本の紡績業が機械化されるまでの発展に大きく貢献した発明家・事業家の臥雲辰致(がうん たつむね/たっち)が、1900年に亡くなった日です。

1842年、今の長野県安曇野市の豪農の家に生まれた臥雲辰致(本名・横山栄弥)でしたが、幼いころ、父親が賭け事に熱中して財産を失ってしまいました。足袋底の布を扱う問屋を始めた母の布を織るのを手伝いながら、機械の改良を考えていましたが、1861年20歳で近隣の安楽寺で出家しました。智恵(ちけい)と名乗りましたが、明治政府の廃仏毀釈により廃寺とされたため還俗し、臥雲辰致を名乗って母の仕事にもどりました。

幕末のころから日本の紡績業は、輸入綿糸や綿布に圧迫されていました。臥雲は優れた織機ができれば輸入品に負けないとの信念から、紡織機の発明に熱中、1873年に、最初の「臥雲式紡織機」を発明しました。この紡織機はガラガラ音を立てることから「ガラ紡」と呼ばれました。1877年には、その改良機を東京上野で開催された第1回内国勧業博覧会に出展すると、最高の賞である鳳紋賞牌(ほうもんしょうはい)を受賞しました。

臥雲は、専売特許を申請するものの、当時は特許制度が確立されていなかったため、公売を許されただけでした。松本に「連綿社」を設立して事業化すると、扱いやすく値も手ごろだったことで、愛知県を中心に急速に全国へ広まり、日本の紡績業の発展に大きく貢献します。ところが、模造品が各地に続出したため、連綿社は苦境におちいり、1880年に閉鎖せざるをえませんでした。それでも翌1881年、第2回内国勧業博覧会にいっそう改良を進めた「ガラ紡」を出品すると、再び機械部門の最高賞を受章します。

1885年に政府は、ようやく「専売特許条約」を定め、発明者の権利保護に乗り出しましたが、その改良機もまた全国に普及した後のことでした。やがて、高速に細い糸を紡ぐ洋式紡績機が普及したことで、「ガラ紡」は1890年ころから衰退してしまいました。

臥雲の挑戦はまだ続き、従来の織機にくらべ生産能率が15倍の蚕網織機の発明に成功すると、1890年の第3回内国勧業博覧会に出品し、3等の有功賞を受け、1896年に工場を建てて蚕網の製造に乗り出しました。しかし、まもなく病にたおれ、経済的にむくわれることのない生涯を閉じてしまいました。


「6月29日にあった主なできごと」

1866年 黒田清輝誕生…『湖畔』『読書』などの作品を描き、わが国の洋画の発展に大きな功績を残した画家黒田清輝が生まれました。

1903年 滝廉太郎死去…『荒城の月』『花』などの歌曲や、『鳩ぽっぽ』『お正月』などの童謡を作曲した滝廉太郎が亡くなりました。

1932年 特高の設置…特別高等警察(特高)は、日本の主要府県警の中に設置された政治警察で、この日に設置されました。警察国家の中枢として、共産主義者はもとより、自由主義者や宗教人にも弾圧の手をのばし、国民の目や耳や口を封じ、たくさんの人々を自殺においこみ、虐殺させた思想弾圧機構ともいえるものでした。
投稿日:2015年06月29日(月) 05:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)