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最新記事【2015年01月29日】

今日1月29日は、実業家としては「日立製作所」「久原鉱業所」などを創業し、政治家としては昭和前期の政界を黒幕的にリードした久原房之助(くはら ふさのすけ)が、1965年に亡くなった日です。

1869年、今の山口県萩市に酒造業者の4男に生まれた久原房之助は、東京商業学校(一橋大の前身)を経て、1889年に慶応義塾を卒業しました。貿易を志して森村組に入社するものの、まもなく、叔父の藤田伝三郎が創業した「藤田組」に転職します。1891年小坂銅山に赴任すると、新技術を導入して、主要産品を銀から銅へ転換するなど急速に業績を拡大させ、37歳で同社の取締役にまで昇進しました。

1903年に藤田組を退社すると、1905年に茨城県の赤沢銅山を買収して日立銅山とするなど、各地の銅山を買収し、1910年に「日立製作所」を設立。1912年に「久原鉱業所」(後の日本鉱業・現JXホールディングス、日鉱日石金属)を設立して社長になりました。さらに、造船業・肥料生産・商社・生命保険を傘下とする「久原財閥」を形成して「鉱山王」の異名をとり、実業界の重鎮として君臨します。

1927年、事業経営を義兄の鮎川義介に一任すると、同郷で以前から親しかった当時の首相田中義一の勧めで、財界から政界に転身。翌1928年に衆議院議員に当選すると、田中改造内閣の逓信大臣(今の郵政大臣)に就任、以後、立憲政友会内に勢力を広げて幹事長となりました。満州事変後は右翼勢力と接近し、1931年におきた陸軍を中心とした青年将校たちの反乱「二.二六事件」の際には、右翼に資金を与えて反乱を助けた罪で検挙されましたが、のちに無罪となりました。

その後は鳩山一郎に接近して影響力を回復すると、1939年に立憲政友会総裁に就任。翌1940年には「一国一党論」を説いて同党を解党。「聖戦貫徹議員連盟」を結成し、大政翼賛会総務などを務めて、義兄の鮎川とともに「政界の黒幕・怪人」と呼ばれながら、太平洋戦争を政・財政面で支えました。

戦後はA級戦犯容疑者となって公職追放となりましたが不起訴となり、1952年追放解除後の総選挙に当選、日中・日ソ国交回復国民会議議長などを務めました。


「1月29日にあった主なできごと」

1866年 ロマン・ロラン誕生…『ジャン・クリストフ』『ピエールとリュース』『ベートーベン研究』などを著したフランスの理想主義的作家、思想家のロマン・ロランが生まれました。

1872年 初の人口調査…近代的人口調査を実施してきた明治新政府は、この日総人口3310万9826人と発表。この年から江戸時代の人別帳にかわる戸籍が作成されました。

1957年 南極に昭和基地…南極観測隊はオングル島に到達し「昭和基地」を開設しました。34名の隊員のうち、西堀隊長以下11名が初の越冬観測のためこの地に残りました。
投稿日:2015年01月29日(木) 05:42

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)