「市民の王」 ルイ・フィリップ
今日8月26日は、1830年フランス「七月革命」後に即位し、1848年の「二月革命」まで、イギリス型立憲君主制「七月王政」をおこなったルイ・フィリップが、1850年に亡くなった日です。
1773年、オルレアン地方に公領を有する貴族「オルレアン家」のフィリップ・エガリテ [平等公] の長男として生まれたルイ・フィリップは、文筆家で教育者のジャンリス夫人から自由主義教育を受け、1789年にフランス革命がおこると、進歩的王族として革命派につきました。1792年からジロンド派のデュムーリエ将軍のもとで従軍し、将軍がルイ・フィリップを国王にする陰謀の失敗や、国王ルイ16世、父エガリテが相ついで処刑されると、国外に逃れました。
スイスでは、地理学・数学・近代文学の教師としてすごし、1795年にハンブルク、1795年からスカンジナビア諸国、1797年からアメリカ合衆国、1801年からはロンドン郊外で暮らし、1815年に、ナポレオン1世が失脚してブルボン王朝が復活したことで帰国するものの、王党には加わらず、平民的にふるまっていました。
ルイ・フィリップが再登場するのは、1830年の「七月革命」後で、シャルル10世の出版の制限や選挙法の改悪などに反発した市民革命が、ブルボン朝の反動王政を倒してからでした。ラ・ファイエットら自由主義ブルジョア(市民)勢力に擁立され、「市民の王」として即位すると、イギリス型の絶対王政を否定した立憲君主制(王の権限を弱め、議会中心の政治)を採りました。また責任内閣制を導入してティエールやギゾーらを首相に登用し、国内の安定と繁栄をはかるために経済の奨励を行って、フランスに産業革命をもたらしました。
対外政策においては、1834年にはアルジェリアを併合し、のちのフランス帝国主義政策に先鞭をつけました。ラテンアメリカでは、メキシコに介入し、1838年に菓子戦争を起こして勝利させています。アジアでは、アヘン戦争で敗れた清に対して、1844年に自国に有利な形で締結したり、インドシナへ介入したりしています。
しかし、自由主義の確立と資本主義の発達をうながしたものの、選挙権を上層ブルジョワジーに限る制限選挙を維持したことで、産業革命によって形成された小ブルジョアやプロレタリアートによる普通選挙の要求が高まるようになっても、40年代に入ってギゾーが保守政治をおこなってこれを弾圧したこと、1846年以来の恐慌の影響もあって社会不安が高まったことなどへの反発が高まり、1848年2月、「二月革命」がぼっ発しました。
ルイ・フィリップは、ただちにギゾー首相を更迭して対処したものの、事態の収拾にはいたらずイギリスへ亡命。亡命先のイギリスで客死したのでした。
「8月26日にあった主なできごと」
1743年 ラボアジエ誕生…従来の化学理論を次々と正し、実験で証明して「近代化学の父」と称されるフランスのラボアジエが生まれました。
1789年 フランス人権宣言の採択…フランス革命で、バスティーユ牢獄の襲撃やその後の動乱が落ち着いたこの日、国民議会は憲法の前文にあたる「人間と市民の権利宣言」(人間宣言)を採択しました。アメリカの独立宣言を範としたこの宣言は17条からなり、権利の平等、人間が当然の権利として持つ自由、主権在民、思想・言論の自由、所有権、安全、圧政に対する抵抗権の確認などの原則が示されています。この民主主義の考え方は、新しい市民社会の原理となりました。
投稿日:2014年08月26日(火) 05:26