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最新記事【2014年08月19日】

今日8月19日は、鼠のように身軽に盗みを働いたことから鼠小僧(ねずみこぞう)といわれ、武家屋敷専門に荒らした次郎吉(じろきち)が、1832年に小塚原で処刑された日です。

1797年、歌舞伎・中村座の木戸番の子として、今の日本橋人形町に生まれた次郎吉は、10歳前後で建具職人の家へ奉公に上がり、16歳で鳶職となるものの長続きせず、職を転々としました。やがて博打をおぼえるうちに小遣い銭にも困り、1823年ごろから武家屋敷に忍びこむようになり、1825年に土浦藩上屋敷に忍びこんだところを捕まりました。

武家屋敷をねらったのは、被害にあっても届け出れば「盗賊などにやられるとは不届き」とおとがめを受ける可能性があるためで、身のこなしが軽く、人を傷つけることなく、足のつかない現金だけをねらいました。南町奉行の尋問を受けるものの「初めて盗みに入った」とうそをついて切り抜け、入墨を入れられた上での追放の刑を受けました。

十両盗めば首が飛ぶ時代にこの刑は、やはり被害届が出ていなかったためでしょう。しかし彼はこれで足を洗うことなく、更に盗みを続け、とうとう1832年5月、浜町の松平宮内少輔の屋敷に忍びこんだところを、夜番の武士にあっけなく捕まりました。

北町奉行の取調べに対する自白によると、10年間に荒らした屋敷は99か所120回、盗んだ金3120両。なぜ武家屋敷をねらったかとの問いには、「警戒は厳重にみえても、奥向きの警備は女中のみで手薄だったから」と答えたそうです。

裁定通り、3か月後のこの日に市中引き回しの上、小塚原でさらし首となった鼠小僧次郎吉ですが、死後に小説・講談・芝居の題材に取り上げられ、大名屋敷から盗んだ金は自ら使わず、貧乏人に分け与える「義賊」として描かれ、幕末から明治にかけて英雄視されるようになりました。やがて、両国・回向院にある次郎吉墓の墓石を削ってお守りに持つと縁起がよいという風習が生まれ、「賭けごとに勝つ」「運がつく」などともに、受験生などには「するりと入れる」ご利益があるといわれるようになりました。そのため今では、墓前に欠き取り用の墓石が置かれています。


「8月19日にあった主なできごと」

1662年 パスカル死去…液体の圧力に関する「パスカルの法則」や、随想録『パンセ』の著書で有名な物理学者・哲学者のパスカルが亡くなりました。

1937年 北一輝死刑…陸軍青年将校たちのおこした「2.26事件」の理論的指導者(皇道派)として、反対派(統制派)陸軍中枢部に軍法会議にかけられた国家主義者の北一輝が、死刑になりました。皮肉なことに以後の日本は皇道派が握ることになり、軍部の力で国を動かし、中国を侵略し太平洋戦争へとまっしぐらに進んでいきました。
投稿日:2014年08月19日(火) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)