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最新記事【2014年08月12日】

今日8月12日は、『SUKIYAKI(すきやき)』と改題されて世界的に大ヒットした『上を向いて歩こう』をはじめ、『見上げてごらん夜の星を』『幸せなら手をたたこう』など数多くのヒット曲を送り出した歌手、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など「九ちゃん」の愛称で親しまれた坂本九(さかもと きゅう)が、1985年の日本航空123便墜落事故にまきこまれて亡くなった日です。

1941年、川崎市の荷役請負業の第9子として生まれた坂本九は、母の実家のある茨城県笠間市に疎開して幼年期を過ごしました。小学校から川崎市にもどり、日大横浜学園中学・高校に進学します。高校時代に両親が離婚したため、下の兄弟たちは母親に引き取られ大島姓になりましたが、その前後からエルビス・プレスリーにあこがれ、芸能界入りを志すようになって高校を休学、ウェスタン・バンド「ドリフターズ」のバンドボーイとして、ジャズ喫茶や進駐軍のキャンプまわりをはじめました。

1958年5月、日劇の「ウェスタン・カーニバル」で坂本九の芸名で歌手デビューをはたすと、やがて「ダニー飯田とパラダイス・キング」のボーカルとしてアメリカンポップスを歌っていましたが、1960年8月に発売した『悲しき六十才』が10万枚のヒットとなり、つづく『ステキなタイミング』もヒットしていちやく人気歌手となりました。

坂本九の運命を変えたのは、何といっても『上を向いて歩こう』でしょう。この曲は、1961年にNHKの人気番組「夢であいましょう」の今月の歌として紹介されたもので、九が歌うと大ヒットし、永六輔作詞・中村八大作曲・坂本九歌唱の「六・八・九トリオ」といわれ、多くの曲を生み出しました。とくに『上を向いて歩こう』は、1963年に『SUKIYAKI』のタイトルでアメリカで発売されるや、アメリカでもっとも権威のあるヒットチャート誌「ビルボード」で、3週連続1位を獲得しただけでなく、1964年に米国内でのレコード販売枚数が100万枚を超えてアジア初の「ゴールドディスク」を受賞しました。歌ばかりでなく、俳優や司会者などでも人気者になった九は、1971年に女優の柏木由紀子と結婚し、二人の娘に恵まれ、長女の大島花子は歌手として活躍しています。

その後も、ミュージカや芝居、テレビにと楽しいおしゃべりと感動的な歌で大活躍をつづけるいっぽう、「あゆみの箱」運動、手話を広げる運動、チャリティコンサートに無報酬で出演するなど、福祉活動に力を貸してきただけに、やさしさに満ち溢れた九の突然の死は、航空事故最悪の520人死亡という惨事とともに、多くの日本人の心に忘れられない記憶を残しました。


「8月12日にあった主なできごと」

1643年 俵屋宗達死去…江戸時代の日本画の最高けっ作といわれる『風神雷神図』 などを描いた江戸時代初期の画家の俵屋宗達が亡くなりました。

1893年 「君が代」「日の丸」制定…「君が代」など8曲が小学校祝日唱歌に定められ、国民の祝典や学校の式では必ず歌われるようになりました。太平洋戦争後は、天皇を賛美する歌として強制されなくなりましたが、1999年「国旗国歌法」で正式に「日の丸」が国旗、「君が代」が国歌と定められました。国民の誰もがよろこんでうたえる国歌がほしいという声も根強いものがあります。

1962年 太平洋単独横断…堀江謙一が小型ヨット(全長5.8m 幅2m)で兵庫県西宮をたった一人で出発し、93日後のこの日アメリカのサンフランシスコに到着。日本人初の単独太平洋横断に成功しました。

1985年 日航ジャンボ機墜落…日航機123便が、群馬県御巣鷹山の南にある高天原(たかまがはら)山に墜落。死者520人という日本国内で発生した航空機事故では最多、単独機の航空事故では世界最多という大惨事となりました。
 
 
* 13日から夏季休暇のため、次回は18日となります。
投稿日:2014年08月12日(火) 05:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)