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最新記事【2018年01月09日】


● 今日(1月9日)の主なできごと

802年 坂上田村麻呂に胆沢城の築城命令……桓武天皇はこの日、征夷大将軍の坂上田村麻呂に、蝦夷の勢力を抑えるための城を、胆沢(今の岩手県奥州市)に築くよう命じた。田村麻呂の巧みな作戦は成功し、815年までには蝦夷をほぼ従わせ、この城に700人が駐屯するまでなって、朝廷の力は一気に東北にまで広がった。胆沢城は、およそ150年にもわたって東北の蝦夷地政府ともいうべき[鎮守府]として機能した。

1867年 明治天皇即位……前年末に孝明天皇が急死したため、わずか16歳の第二皇子の睦仁親王が、明治維新の激動の中、明治天皇として即位した。

1891年 不敬事件……3年間のアメリカ留学でキリスト教徒となった内村鑑三は、前年から第一高等中学校の講師として、この日講堂で挙行された教育勅語奉読式において、天皇親筆の署名に最敬礼をおこなわなかった。それが同僚・生徒などによって非難され、社会問題化した。

1905年 血の日曜日……ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクの冬宮前広場で行われた労働者によるデモに対し、政府の兵士が発砲、2000人もの死傷者を出した。この日曜日におきた事件は、ロシア第1次革命の発端となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

風邪の日……1795年のこの日、「天下無双」といわれた大横綱の谷風梶之助が流感であっけなく亡くなった。そのため、流感のことは「谷風」と呼ばれていた。これにちなむ記念日。

とんちの日/クイズの日……とんちで有名な一休さん(一休宗純)から、「いっ(1)きゅう(9)」の語呂合せで制定された。


● 今日生まれた人

1890年 チャペック……チェコの小説家・劇作家。代表作『人造人間(R.U.R.)』『虫の生活』『山椒魚戦争』など。

1908年 ボーヴォワール……フランスの小説家・評論家。代表作『第二の性』など。フェミニズム(性差別を廃止し女性の権利を拡張しようとする思想・運動)を指導。

1913年 ニクソン……アメリカ第37代大統領。「ウォーターゲート事件」で任期中に辞任した唯一の米大統領。


● 今日亡くなった人

1873年 ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン) ……フランス第二帝政の皇帝。国内の産業革命を推進するも、普仏戦争に敗北。

1968年 円谷幸吉……昭和期のマラソン選手。東京五輪マラソンで3位となるものの、金メダルを宣言したメキシコ五輪を前に、重圧のため自殺。

1988年 宇野重吉……昭和期の俳優・演出家・映画監督。映画出演代表作『愛妻物語』『第五福竜丸』『金環蝕』など。

1998年 福井謙一……昭和・平成期の化学者(量子化学)。フロンティア軌道理論の提唱でノーベル化学賞受賞。


● 過去のマイブログ「1月9日」のテーマ

2014年 「分子工学」 を世界に広めた福井謙一
1981年に日本初のノーベル化学賞を受賞した化学者・工学者の福井謙一(ふくい けんいち)が、1998年に亡くなった日です。1918年、工場経営者の子として奈良市に生まれた福井謙一は、昆虫の大好きな子として大阪市で少年時代を過ごしました。特にファーブルの『昆虫記』が好きで、ファーブルが化学者だったことから化学に興味を持ち、1938年京都帝国大学(現・京都大)工業化学科に入学、化学の理論的な研究をきわめ……。

2013年  帝政を復活させたナポレオン3世
ナポレオン1世の甥で、フランス第二帝政の皇帝となったナポレオン3世が、1873年に亡くなった日です。1808年、フランス皇帝ナポレオン1世の弟でオランダ王ルイの子として生まれたシャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルトは、1815年に叔父のナポレオン1世が没落したとき、母とともにスイスに逃れ、亡命生活のなかでも「皇帝の甥」としての自覚をもちながら育ちました。やがて陸軍士官学校を卒業後、砲兵士官となりました……。

2009年  大帝ともいわれた明治天皇
倒幕・攘夷派の象徴として、また近代国家日本の指導者として活躍した明治天皇が、1867年に即位した日です。明治天皇は、1852年に京都で生まれました。父は、孝明天皇、母は、朝廷につかえていた公卿の中山忠能の娘です。幼年時代の天皇は、からだが弱く、泣き虫でした。でも、5歳をすぎたころから身体をきたえ、1867年12月、孝明天皇の急死により16歳で天皇の位についたころには……。

2008年  [おもしろ民話集 28] 小僧の 「正夢」
むかしあるところに、殿様のところで働く若者がいました。いつも灰だらけになっているので 「灰ぼう」 とよばれていました。正月の2日、灰ぼうはとってもいい夢を見たので 「ああ、夕べの夢はよかったなぁ」 とつぶやきました。それを聞きつけた者が、殿様に伝えたところ、殿様は灰ぼうを呼んで、こういいました。「そんなにいい夢なら、どうだ、その夢をわしに売ってくれないか」 といったところ……。

2007年  心にうるおいのない子、短所がめだつ子
子どもが通知表をもらってきて、図工、体育、音楽などの成績はあがっていても、国語、算数、理科、社会の成績がさがっていたら「ダメじゃないの」としかってあげます。子どもが「図工や音楽は上がっているのに」と言ったら、「そんなものどうでもいいの。国語や算数が大事でしょ」と言い聞かせることです。図工や音楽の成績があがっていてもほめてやってはいけません……。
投稿日:2018年01月09日(火) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)