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最新記事【2017年08月30日】


● 今日(8月30日)の主なできごと

1945年 マッカーサー来日……第2次世界大戦に敗れた日本は、9月から1952年4月まで6年9か月間占領され、連合国軍司令部(GHQ)による間接統治が行なわれた。その最高司令官に任命されたアメリカのマッカーサー元帥がこの日、神奈川県の厚木飛行場におりたった。


● 今日の主な記念日・恒例日

富士山測候所記念日……1895年のこの日、気象学者の野中到(いたる)が私財を投じ、富士山頂に野中測候所(今の気象庁富士山測候所)を開設したのにちなむ記念日。

冒険家の日……1989年に堀江謙一が小型ヨットでの太平洋の単独往復を達成、1970年に植村直己がマッキンリーの単独登頂して日本人初の大陸最高峰登頂を成功させ、1965年に同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から130kmを世界で初めてボート下りをした。これらの冒険が、いずれも8月30日だったことから制定。


● 今日生まれた人

1748年 ダビッド……フランスの画家。代表作『ナポレオンの戴冠式』『アルプスを越えるナポレオン』『レカミエ夫人』など。

1797年 メアリー・シェリー……イギリスのホラー小説家。代表作『フランケンシュタイン』など。

1871年 国木田独歩……明治期の小説家・詩人・ジャーナリスト・編集者。代表作『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』『源叔父』 など。

1871年 ラザフォード……イギリスの物理学者。「原子物理学(核物理学)の父」


● 今日亡くなった人

1940年 トムソン……イギリスの物理学者。電子・同位体の発見、質量分析器の発明など。

1984年 有吉佐和子……昭和期の小説家。代表作『複合汚染』『紀ノ川』『恍惚の人』など。

1992年 五社英雄……昭和・平成期の映画監督・テレビプロデューサー・脚本家。代表作『極道の妻たち』『三匹の侍』『鬼龍院花子の生涯』など。

1995年 山口瞳……昭和・平成期の小説家。代表作『江分利満氏の優雅な生活』など。


● 過去のマイブログ「8月30日」のテーマ

2013年  『複合汚染』 の有吉佐和子
『紀ノ川』『華岡青洲の妻』『複合汚染』『恍惚の人』など、歴史や古典芸能、社会問題まで広いテーマの話題作を多く著した作家の有吉佐和子(ありよし さわこ)が、1984年に亡くなった日です。1931年、和歌山市に生まれた有吉佐和子は、父の転勤のために小学時代は旧オランダ領東インドで過ごし、1941年に帰国後、東京市立第四高女から疎開先の和歌山高女、光塩高女、府立第五高女を経て、1952年に東京女子大学英語学科を卒業、演劇評論家を志して、雑誌『演劇界』の嘱託となりました……。

2012年 「おもしろ古典落語」83回目 『船徳(ふなとく)』
江戸の隅田川の川筋には、船宿というのがありまして、ここから舟をだすというぜいたくな遊びがはやっていました。なかには、遊びに夢中になりすぎて、親から勘当されてしまった若旦那が、お出入りの船宿に居候をしてたなんてのが、よくありました。柳橋の船宿・大枡(だいます)に居候していましたのが大家の若旦那の徳三郎。ひまをもてあました末に、いなせな姿にあこがれて「船頭になりたい」といいだし……。

2011年  電子を発見したトムソン
電子と同位体を発見し、質量分析器を発明したイギリスの物理学者トムソンが、1940年に亡くなった日です。1856年、イギリス中部西海岸マンチェスターの本屋の家に生まれたジョセフ・ジョン・トムソンは、小さな私立学校に通ううち、科学への強い興味と才能を示し、ケンブリッジ大学で1880年に数学の学士号、1883年に修士号を取得。1884年に母校の教授になり、のちに物理学のキャベンディッシュ研究所の所長に……。

2010年 「原子物理学の父」 ラザフォード
ニュージーランド出身・イギリスで活躍した実験物理学者で「原子物理学(核物理学)の父」と呼ばれるラザフォードが、1871年に生まれた日です。すべての自然科学の研究のなかでも、特に注目されているのが原子や原子核についての研究です。その原子物理学のもとになる新しい考え方をいくつも生み出し、実験で証明して発展の道をきりひらき、1908年にノーベル賞を受賞……。

2007年  ボッティチェリ「プリマベーラ(春)」
この絵は、イタリア・フィレンツェの「ウフィツ美術館」にあり、2.03m×3.14m の大きな絵です。フィレンツェは、ルネッサンスが花開いた都市としても有名で、14世紀末から16世紀始めころまで、都市国家フィレンツェの君主として「メディチ家」は隆盛を誇っていました。この絵の注文主はメディチ家のロレンツォ・イル・マニーフィコ、通称「豪華王」で……。

2006年 「野口英世」 のこども時代
1歳をすぎてまもなくのやけどで、左手の5本の指がくっついたまま棒のようになってしまっていた清作 (英世の子どものころの名) は、小学校へあがると、みんなに 「てんぼう、てんぼう」 「左手で石を投げてみろ」 とバカにされました。そして、くやしさと悲しさに涙を流すうちに、こっそり学校をずる休みするようになっていきました。でも、ずる休みは、まもなく、母にみつかって 「人に笑われたくらいで、くじけてはダメです。しっかり勉強して、いまはバカにしている人たちを、学問の力で、みかえしてやったら……。

2005年  こども科学図書館について
これまで、いずみ書房の創業期の、まさに生きるか死ぬかの大苦戦物語を記述してきた。そして、独自のフランチャイズシステムによる販売組織を少しずつ作り上げることができ、以来およそ10年もの長い間、試行錯誤しながらもこのシステムの恩恵を受けながら、多くの出版物を刊行することができた。「せかい童話図書館」(全40巻)に続く、「ポケット絵本シリーズ」の第2弾は、1978年5月に完成した「こども科学図書館」(全40巻)だった……。
投稿日:2017年08月30日(水) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)