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2017年版 4月26日はこんな日


● 今日(4月26日)の主なできごと

1937年 ドイツ空軍がゲルニカを無差別攻撃……スペイン内戦に干渉したドイツ空軍は、北スペインの小都市ゲルニカを史上初となる無差別攻撃を行ったことで、非戦闘員2千人以上が死亡。パリ滞在中にこの事件を知ったピカソは、この都市名をタイトルにした大作「ゲルニカ」で、戦争への怒りを表現。

1986年 チェルノブイリ原発事故……ソ連(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で、後に決められた国際原子力評価尺度において最悪のレベル7に分類された爆発事故がおこり、ウクライナ・ベラルーシ・ロシアなど周辺の広い地域に「死の灰」をまき散らして、世界を震撼させた。ソ連政府は2日後にようやく事故を発表、のちに事故は運転員の規則違反と操作ミスが主な原因で、原子炉の設計にもミスがあったともいわれている。

1991年 自衛隊が初めてPKOに参加……PKO(国際平和維持活動)は、国際連合(国連)の加盟国が、紛争をしずめ、平和を維持するために人員を派遣して活動するもので、日本は、1988年から公務員らを派遣していた。この日、海上自衛隊の掃海艇が、湾岸戦争でイラクがしかけた機雷ををとりのぞくためにペルシャ湾へむけて出発。


● 今日の主な記念日・恒例日

世界知的所有権の日……1970年のこの日、「世界知的所有権機関を設立する条約」が発効して、同機関が発足。「知的所有権」は「知的財産権」ともいわれ、芸術的・学術的な表現を保護する「著作権」、技術的な発明を保護する「特許権」、アイデアを保護する「実用新案権」、物品のデザインを保護する「意匠権」、商品やサービスのマークを保護する「商標権」などがあり、その役割と貢献を強調するとともに、人間の試みや努力に対する意識・理解の向上をはかることを目的とする。世界知的所有権機関(WIPO)が2000年に制定。

リメンバー・チェルノブイリ・デー……1986年のこの日、チェルノブイリ原子力発電所で、大爆発事故が発生したことにちなみ、この事故を忘れないようにしようと制定された記念日。


● 今日生まれた人

1711年 ヒューム……イギリスの哲学者・歴史家・思想家。イギリス経験論哲学の完成者。代表作『人間本性論』『英国史』など。

1783年 村田清風……江戸時代後期の長州藩士。藩政改革指導者。

1798年 ドラクロワ……フランスの画家。代表作『民衆を導く自由の女神』『サルダナパールの死』『キオス島の虐殺』など。

1885年 飯田蛇笏……明治・大正・昭和期の俳人。「ホトトギス」の隆盛期を代表。

1898年 内田吐夢……昭和期の映画監督。代表作『大菩薩峠』『飢餓海峡』『宮本武蔵』シリーズなど。

1907年 山本健吉……昭和期の文芸評論家。代表作『芭蕉』『古典と現代文学』『柿本人麻呂』『詩の自覚の歴史』『いのちとかたち』など。


● 今日亡くなった人

BC479年 孔子……古代中国の思想家で、「仁」を重んじる政治を唱えたくさんの弟子を育てた孔子が、亡くなったとされる日。孔子の教えは、弟子たちの手で『論語』としてまとめられ、孔子を始祖とする思想・信仰の体系は「儒教」と呼ばれ、江戸時代には、もっとも大切な学問とされていた。

1964年 堤康次郎……大正・昭和期の実業家。西武グループ創設。


● 過去のマイブログ「4月26日」のテーマ

2013年 「おもしろ古典落語」116回目 『不精床(ぶしょうどこ)』
むかし、「無精床」とあだ名をされた床屋がございました。ぶあいそうで、ものぐさな親方なもんで、いつも店はガラガラ。何も知らず、すいてるからと飛びこんできた不運な客がありました。「こんちは、親方、こんちは」「うるせぇな、こんちはなんて、いっぺんいゃぁわかるじゃあねぇか。なんの用だ」「すぐやってもらいてぇんだが…」「やるって、なにを?」「頭をこさえてもらいてぇ」「うちは人形作りじゃねぇ」「そうじゃねぇ、つまり、髪を結い直して、いい男にしてもらいてぇんだ」……。

2012年 「おもしろ古典落語」67回目 『そこつの釘(くぎ)』
「ちょいとおまえさん、今ごろまで何をしてたんだい?」「どこったって、こんな重いもんしょって、どこへいくもんか、ここへこようと思ったんだ」「朝早いうちに家を出て、もうじき夕方じゃないか。この引越しの荷物、長屋のみなさんが、みんなで手伝ってくださったんだよ」「おいおい、おれだって好きでこうなったわけじゃねぇ。これにゃ、深いわけがあるんだ」「どんなわけだい?」……。

2007年  社会性を身につけさせるには
子どもを、集団のなかで行動できる子、社交性のある子、協調性のある子にしたいなら、幼児期から、仲間とのけんかをおそれないことです。 3、4歳になった子どもを、同じ年頃の子どもと遊ばせる。すると、必ず、おもちゃの取りっこになって、子どもどうしでけんかをする。そして、おもちゃ取りに勝ったり負けたりして、相手を泣かせたり、自分が泣かされたりすることになります……。

2006年  ガラスのうさぎ
「ガラスのうさぎ」(高木敏子作・金の星社刊) のあらすじは、つぎの通りです。太平洋戦争末期、東京下町に住む少女・敏子は敗戦色が濃く物資が欠乏した厳しい世の中で、家族とともに一生懸命生きていました。しかし、昭和20年3月10日の東京大空襲で、敏子は母と二人の妹を失ってしまいました。焼け跡から、空襲の猛火で形の変わったガラスのうさぎを掘り出した敏子は、戦争の恐ろしさを目の当たりにします。さらに疎開の途中、駅で米軍機の機銃掃射を受け、父までも亡くしてしまいました。たったひとりになった敏子は……。
投稿日:2017年04月26日(水) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)