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2016年版 11月22日はこんな日


● 今日(11月22日)の主なできごと

1950年 第1回プロ野球日本シリーズ開催……第1回プロ野球日本選手権(日本シリーズ)が神宮球場で開催された。この年は、パ・リーグの勝者「毎日オリオンズ(今のロッテ)」がセ・リーグの勝者「松竹ロピンズ(今のベイスターズ)」に4勝2敗で勝利した。


● 今日の主な記念日・恒例日

いい夫婦の日……「いい(11)ふうふ(22)」の語呂合せと、「ゆとり創造月間」の期間中であることから、余暇開発センター(今の日本生産性本部余暇創研)が1988年に制定。

ボタンの日……1870年のこの日、金地に桜と錨(いかり)の模様の国産ボタンが海軍の制服に採用されたことから、日本釦(ぼたん)協会・全国ボタン工業連合会等が1987年に制定。

大工さんの日……11月が「技能尊重月間」であること、「十一」を組み合わせると「士」となり「建築士」にふさわしいことなどから、日本建築大工技能士会が1999年に制定。

ペットたちに感謝する日……犬の鳴き声「ワンワン」と猫の鳴き声「ニャーニャー」から、ペット関連の事業を行う会社が制定。


● 今日生まれた人
 
1819年 エリオット……イギリスの小説。代表作『アダム・ビード』『サイラス・マーナー』『ミドルマーチ』など。

1861年 落合直文……明治期の歌人・国文学者。代表新体詩「桜井の訣別(青葉茂れる桜井の……」「孝女白菊の歌(阿蘇の山里秋ふけて……」など。

1864年 竹内栖鳳……明治・大正・昭和期の日本画家。代表作『アレ夕立に』『班猫』など。 

1869年 アンドレ・ジッド……フランスの作家。代表作『狭き門』『田園交響曲』『贋金つかい』など。

1890年 ド・ゴール……フランスの政治家。レジスタンス運動で第2次世界大戦を戦い抜き、戦後すぐに首相に就任後、第五共和政初代大統領。

1901年 ロドリーゴ……スペインの作曲家。代表作『アランフェス協奏曲』『子どものための5つの小品』など。

1904年 丹羽文雄……昭和期の小説家。代表作『親鸞』『蓮如』など。

1913年 ブリテン……イギリスの作曲家。代表作『青少年管弦楽入門』。


● 今日亡くなった人

1263年 北条時頼……鎌倉時代の第5代執権。

1724年 近松門左衞門……江戸時代中期の京都・大坂の浄瑠璃・歌舞伎狂言作家。代表作『曽根崎心中』『冥途の飛脚』『国性爺合戦』『心中天網島』など。

1913年 徳川慶喜……江戸幕府第15代将軍。

1938年 秦佐八郎……明治・大正・昭和期の細菌学者。梅毒の特効薬「サルバルサン606号」発見。

1963年 ジョン・F・ケネディ……アメリカ第35代大統領。

1970年 大宅壮一……昭和期の評論家・ジャーナリスト。「一億総白痴化」「駅弁大学」などの流行語。風俗時評・人物批評で一世を風靡。

1991年 今井正……昭和・平成期の(映画監督。代表作『青い山脈』『また逢う日まで』『真昼の暗黒』『キクとイサム』『橋のない川』など。


● 過去のマイブログ「11月22日」のテーマ

2013年ブログ 「おもしろ古典落語」135回目 『石返(いしがえ)し』
夜なきそば屋のせがれの松公は、親父の屋台のあとをヘラヘラいいながらくっついて歩くばかりで、親父のあとをつぐ気がありません。そんなある日親父は、「今夜は、腰が痛くてたまらない。かわりにおまえがそばを売って来い」と、いいわたしました。そばの作り方から、「お寒うございます」というお愛想のいい方なんかをまず教え、商いをはじめる場所を教えます。「おもて通りにゃりっぱなそば屋があって売れないから、できるだけさびしい場所を選ぶんだぞ……。

2012年ブログ 「おもしろ古典落語」95回目 『位牌屋(いはいや)』
「旦那さま、まことにおめでとうございます」「こりゃ、番頭さん、おめでたいって、何がそんなにおめでたいのかな」「夕べ坊っちゃんがお生まれだそうで、これは、まことにおめでたいことで」「おいおい、冗談をいっちゃあいけないよ。今は、いろいろと物が高いから、かかりが大変だ。これから大きくなるまで食べさせなくちゃいけない。それだけ身代が減るじゃないか……。

2011年ブログ 造語名人・大宅壮一
毒舌の社会評論家として活躍した大宅壮一(おおや そういち)が、1970年に亡くなった日です。1900年、現在の大阪・高槻市にある醤油屋の子として生まれた大宅は、少年時代から、さまざまな雑誌に作文や俳句を投稿してジャーナリズムにふれたり、渋沢栄一やカーネギーのような実業家になりたい夢を持ったり、賀川豊彦を知って社会問題に関心を持つなど、多感な小・中学時代をすごしました。いっぽう、家業をてつだいながら文学に親しむうち、ドイツ語やフランス語を独習したりもしました……。
 
2010年ブログ 東洋のシェークスピア・近松門左衛門
江戸時代中期に人形浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎の作者として活躍した近松門左衛門が、1724年に亡くなった日です。わが国には、3大国劇というものがあります。1つ目は、謡曲にあわせて舞を中心に物語を演じる「能」。2つ目は、華やかな舞台に男性の役者が演じる「歌舞伎」。そして、三味線と物語に節をつけて語り、人間のかわりに人形に劇を演じさせる「人形浄瑠璃」です。近松門左衛門は、このうち「歌舞伎」と「人形浄瑠璃」のための優れた脚本を150編も書いた、最大の作家……。

2007年ブログ 遠くて近い国マレーシア
11月1日から11日まで、2年半ぶりにマレーシア旅行を楽しんできました。前回は、「ロングスティ下見の旅」といった企画を利用したため、航空券からホテル予約、旅行地への交通に至るまで、すべて旅行会社が手配をしてくれたため、何の苦労もすることのない旅でした。反面、何もかも用意されていると、旅に独自性がなくなってしまうことも事実で、今回は、途中から同行することになっていた兄のアドバイスをもらいながら、航空券やホテルの手配を一人でやってみることにしました……。

2006年ブログ 「ユゴー」 のこども時代
たったひときれのパンを盗んだばかりに19年も牢獄に入れられ、激しく社会を憎みつづけたジャンバルジャンが、出獄後、1人の神父に出会ってから社会への愛に生きることを誓い、悪人はどこまでいっても悪人だという社会の考えに打ち勝っていく──このジャンバルジャンの物語 「レ・ミゼラブル」 を書いたビクトル・ユゴーは、1802年にフランス東部のブザンソンに生まれました。父はナポレオン軍の将軍でしたが、ビクトル少年は、家庭的には恵まれませんでした……。
 
2005年ブログ 子育てと絵本の役割
拠点長会の席上で語った内容の第3回目。子どもと、知的なあるいは情緒的な会話を行うことが、とても大きな教育効果をもたらすことは充分にわかっていても、いざそういう会話を行おうという段階になると、ほとんどのお母さんは、自分がどんなに無力であるかを知るに違いありません。そのための適切な教材の第一は、誰が何といおうと絵本です。絵本という教材がないと、おかあさんは昔ばなしをしてあげることも、動物、乗り物、植物等について豊かな話をしてあげることも……。
投稿日:2016年11月22日(火) 05:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)