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最新記事【2015年12月18日】

今日12月19日は、江戸時代後期の薩摩藩の家老で、破たん状態の財政を大改革して回復させた調所広郷(ずしょ ひろさと)が、1848年に亡くなった日です。

1776年、薩摩藩の下級武士川崎家の子として生まれた広郷(通称・笑左衛門)は、1788年に茶道家の調所清悦の養子となりました。1798年、隠居していた前藩主の島津重豪(しげひで)にその才能を見出されて茶坊主(茶の世話をする人)として登用されると、同年11月に養父清悦が江戸で死去したため家督を相続、1813年には、小納戸(髪結や食事の世話係)勤めとなって、江戸と藩を何度も往復しました。

やがて、藩主の島津斉興(なりおき)に仕え、1822年には町奉行の要職につくと、小林郷・鹿屋郷・佐多郷地頭を兼務するうち、藩主から財政家としての才能を見出され、当時500万両にも及ぶ膨大な借金を抱えて破綻寸前となっている、財政立て直しの責任者を命ぜられました。

1833年には家老格となり、1838年には家老に出世した広郷は、藩の財政を中心に農政・軍制改革に取り組みました。まず、経済学者の佐藤信淵の意見を聞き、出雲屋孫兵衛ら経済専門家を配下に置くと、1836〜38年に、金を貸してくれた京都・大坂・江戸の大商人を説得し、借金を無利子で250年の分割払いにしました。また、藩内の商人からの借金は、その商人を武士に取り立てることで帳消しにしました。これは、借金踏み倒しにも等しい大胆なものでした。

いっぽう、奄美大島・徳之島などから取れる黒砂糖の専売制を行って藩が安く買い上げ、それを大坂の砂糖問屋へ売って3、4倍の利益をあげたり、琉球を通じて清と密貿易を行ない、一部商人にこの密貿易品を優先的に扱わせて大きな利益を上げるなど、1840年には薩摩藩の金蔵に250万両の蓄えができるまで短期間に財政を回復させました。

ところが、斉興の後継をめぐる島津斉彬(なりあきら)と島津久光による争いがお家騒動(のちのお由羅騒動)に発展すると、広郷が久光を推したことで、斉彬は幕府の老中の阿部正弘らと協力し、薩摩藩の密貿易に関する情報を幕府に流したのでした。そのため1848年、調所が江戸に出仕した際、阿部に密貿易の件を糾問され、薩摩藩江戸邸で服毒自殺した(斉興に罪が及ぶのを恐れた)といわれています。

没後に広郷の遺族は、藩主となった斉彬によって家禄と屋敷を召し上げられ、家格も下げられましたが、広郷の藩政改革の成功がなかったなら、薩摩藩の豊富な資本の投入による明治維新の実現は困難で、まさに「薩摩藩の救世主」だったことは間違いなさそうです。


「12月19日にあった主なできごと」

1614年 大坂冬の陣の和約…徳川家康は豊臣家を滅ぼそうと20万もの大兵で大坂城を取り囲みましたが、短期間で滅ぼすことはできないと和平を持ちかけました。その後、約束の外堀ばかりか内堀までうずめて本丸だけにし、半年後の「大坂夏の陣」で滅ぼしました。

1751年 大岡忠相死去…「大岡政談」の越前守として有名な大岡忠相が亡くなりました。ただし、名裁判官ぶりはほとんど作り話で、江戸市民に愛され尊敬されていた忠相の人柄が、人情味あふれる庶民の味方として認識され、講談や演劇、落語などで広く知られるようになりました。

1997年 井深大死去…「世界のソニー」を盛田昭夫とともに創りあげ、そのかたわら「幼児開発協会」を設立して幼児教育の大切さを普及させた井深大が亡くなりました。
投稿日:2015年12月18日(金) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)