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最新記事【2015年09月25日】

今日 9月25日は、二つの世界大戦と全体主義に翻弄される民衆を一貫して描いたドイツ出身でアメリカに亡命した作家レマルクが、1970年に亡くなった日です。

1898年、ドイツ北西部のオスナブリュックに製本業を営む敬虔なカトリック信者の家に生まれたエーリッヒ・レマルクは、ギムナジウム(中高一貫校)で学んでいるときに第一次世界大戦が始まり、1916年に級友たちと共に志願兵として「西部戦線」(連合軍と対峙したドイツ西部のフランスとの国境の戦線)に配属されました。戦場に出て翌月には榴弾の破片を首や腕に受け、終戦までデュースブルクの軍病院で過ごしました。ドイツ敗戦後に復学し、卒業後は小学校教員、ゴム会社勤務を経て、ベルリンに出てスポーツ雑誌の記者となり、雑誌などに記事を寄せていました。

そして1929年、自らの体験をもとにした長編小説『西部戦線異状なし』を発表すると、いちやく世界的に有名になりました。この作品は、西部戦線に投入されたドイツ軍志願兵の主人公ポール・ボイメルが戦争の恐怖、苦悩、虚しさを味わう物語で、ポールと友人たちは、愛国精神を説く先生に半ばのせられ出征志願します。しかし、実際の戦場は、想像以上の悲劇に満ちていて、「西部戦線異状なし」と報告された休戦直前のある日の主人公の死をもって終ります。戦争の悲惨さを描いた反戦文学の傑作としてベストセラーとなり、25国語に翻訳され、内外で350万部という大ベストセラーとなり、翌1930年にはアメリカで映画化されてヒットしました。(その後も売れ続け、20世紀末には45か国語、800万部以上といわれています)

2作目の『還り行く道』も反戦的気分が書かれていたためナチスの迫害を受け、1932年にスイスへ亡命。ヒトラー政権が樹立した1933年、『西部戦線異常なし』は宣伝相ゲッベルスの指揮のもとでベルリンのオペラハウス前で焚書となり、1938年には、ドイツ政府はレマルクの国籍をはく奪しました。

1939年にレマルクはアメリカへ渡り、1947年にはアメリカ市民権を得ています。第2次大戦後の1946年、大戦前夜のパリを舞台にした『凱旋門』を発表、この本は200万部のベストセラーとなり、ふたたび世界的な名声を博しました。1954年に発表した『愛する時と死する時』など作品の多くは映画化されていますが、1958年の『愛する時と〜』の映画化に際しては、ゲシュタポに追われる老教師ポールマンとして自ら出演しています。

なお、晩年はスイスのロカルノに住み、1967年にはドイツ連邦共和国功労勲章を受章しています。


「9月25日にあった主なできごと」

1829年 シーボルト国外追放…1年ほど前に、幕府禁制品とされていた日本地図などを国外に持ち出そうとしたこと(シーボルト事件)で、捕えられていたシーボルトが、国外追放・再渡航禁止処分となりました。

1936年 魯迅死去…20世紀初頭の旧中国のありかたやみにくさを鋭く批判した『狂人日記』『阿Q正伝』を著した魯迅が亡くなりました。
投稿日:2015年09月25日(金) 05:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)