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最新記事【2015年09月24日】

今日9月24日は、江戸時代中期に江戸っ子の絶大な人気を博し、現在にいたる市川団十郎(いちかわ だんじゅうろう)家の基礎を築いた歌舞伎役者の市川団十郎二代目が、1758年に亡くなった日です。

初代市川団十郎は、坂田金時や曽我五郎のような勇猛な人物を演ずる「荒事」を得意とする歌舞伎役者として人気を誇りましたが、1688年、その初代を父に、母(初代市川翠扇)との長男として生まれた二代目は、初代が成田山新勝寺(成田不動)に子宝の願をかけたところ見事に生れた子だったため、「不動の申し子」といわれました。

1697年、中村座の『兵根元曾我』で初舞台をふむと、1704年に初代が舞台上で俳優に殺されたため、二代目を襲名しました。まだ17歳で技芸修行の身だった二代目を支え鍛えあげたのは、名優と讃えられていた生島新五郎でした。生島が初代中村七三郎の芸を受け継ぐ和事師であったことから、父親譲りの荒事芸に和事味を加味した独自の芸風を育て、めきめき上達したことで、二代目団十郎は、ほどなく初代の再来といわれるようになりました。

しかし、当時の歌舞伎は、穢多(えた=非人とともに四民の外の最下層)頭・弾左衛門の支配下に置かれていました。1709年の山村座『傾城雲雀山』で、二代目団十郎が演ずる粂八郎役のもぐさ売りのセリフが大評判となり、世間に芸の実力を認めさせるきっかけになるとともに、江戸町奉行は歌舞伎と傀儡師(かいらいし=首からかけた箱の上で人形を舞わせる大道芸人)の支配権を弾左衛門からはく奪したことで、二代目は念願だった被差別民からの独立を果たしたのでした。

さらに1713年、山村座『花館愛護桜』で助六を初めてつとめ、『国姓爺合戦』の和藤内、曽我狂言の五郎など荒事系の演技に和事味の加わった演技は高く評価され、押しも押されぬ名優の評価を受け、江戸歌舞伎の第一人者へと成長していきました。1721年正月には、森田座『大鷹賑曽我』という狂言で五郎を勤めた演技は大評判となって、同年10月まで280日間大入りを続けました。この大成功によって以後2世の給金は年千両となり、毎年6月は夏休みがもらえるという特別待遇が与えられました。のちに「千両役者」と一般に使われるようになりますが、その始まりはこの二代目からでした。

1735年、門弟の市川升五郎に団十郎を譲り、自らは二代目市川海老蔵を襲名しました。1742年には大坂に上って『毛抜』を初演し、上方においても人気を博しましたが、この年に三代目が急死したため、1754年に改めて門弟の二代目松本幸四郎を養子として、団十郎を継がせました。

71歳で亡くなりますが、二代目は「役者の氏神」と讃えられ、代々の団十郎の中でも傑出した名優といわれています。


「9月24日にあった主なできごと」

1744年 石田梅岩死去…正直、倹約、堪忍という徳目をわかりやすく示し、町人の道を教える「心学」をはじめて説いた江戸時代中期の学者石田梅岩が亡くなりました。

1877年 西郷隆盛自刃…木戸孝允と大久保利通とともに倒幕・維新に尽力し「維新の三傑」の一人とうたわれた西郷隆盛は、士族(もと武士)たちの不満を解消させるために征韓論を主張しましたが、木戸、大久保らに反対されたため、明治政府の要職をすてて郷里鹿児島へ帰りました。私塾を開いているうち、やがて下級士族たちにかつがれて8か月にわたる「西南戦争」をおこしました。西郷軍は政府軍と奮闘しましたが、最新式武装をした政府軍の力に及ばす、最期をさとった西郷は、たてこもった城山で腹心に介錯を頼み自刃しました。

1965年 みどりの窓口開設…国鉄(いまのJR)は、コンピューターを使った指定券発売の窓口「みどりの窓口」を全国152の主要駅と日本交通公社の83営業所に設置しました。これにより、長い時間待たされたり、ダブルブッキングがほとんど解消されました。
投稿日:2015年09月24日(木) 05:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)