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最新記事【2015年06月24日】

今日6月24日は、昭和の歌謡界を代表する歌手・女優として活躍し、女性として初の国民栄誉賞を受賞した美空(みそら)ひばりが、1989年に亡くなった日です。

1937年、横浜市磯子区に魚屋の子として生まれた美空ひばり(本名・加藤和枝)は、幼少の頃から歌が上手で、母の喜美枝は終戦間もない1945年に「青空楽団」を設立し、近所の公民館や銭湯に舞台を作ってひばりに歌わせ、9歳のとき横浜市磯子区の杉田劇場で初舞台を踏ませました。

1948年9月、横浜国際劇場で歌手美空ひばりとしてデビューをはたすと、翌年に映画『のど自慢狂時代』でブギウギを歌う少女として映画初出演して注目されます。レコード会社の日本コロムビアに入社すると、8月には松竹映画『踊る竜宮城』に出演して、主題歌『河童ブギウギ』でレコードデビューを果たしました。さら映画初主演した『悲しき口笛』を大ヒットさせ、その主題歌は45万枚売れて当時の史上最高記録となり、みごとな歌唱と演技で「天才少女」の評判をとりました。1950年の『東京キッド』、1951年の『あの丘越えて』も映画とともに同名の主題歌も大ヒットとなり、戦後の沈んだ世相の中で、いちやく人気歌手の仲間入りをはたしました。

1952年、女性として初めて歌舞伎座の舞台に立つと、同年の映画『リンゴ園の少女』の主題歌『リンゴ追分』が自己の史上最高記録を更新する70万枚の大ヒットとなります。1950年代後半になると、『波止場だよお父っつぁん』『港町十三番地』『哀愁波止場』の港唄を次々にヒットさせ、映画化されて、歌に映画に舞台に大活躍をし、特に、当時全盛を迎えていた時代劇に、初代中村錦之助と共演した作品は人気を呼び、1958年には15本もの映画に出演して、10曲もヒットさせて人気の絶頂期を迎えました。

やがて、映画から身を引き、歌謡界の天才少女から「歌謡界の女王」へ成長を遂げた美空は、舞台で活躍するいっぽう、歌唱力に磨きがかけられ、1965年には190万枚売り上げた『柔(やわら)』でレコード大賞グランプリを受章、1966年の『悲しい酒』も売上145万枚を記録し、1967年には人気フォークグループ「ブルー・コメッツ」をバックに歌った『真っ赤な太陽』で新境地を開いて140万枚を売り上げました。

その後、美空の人気は下降線をたどりはじめ、1986年ころから体調を崩して福岡市で入院しますが、快復すると、最後の力をふりしぼるように『愛燦燦(さんさん)』(1986年)『みだれ髪』(1987年)『川の流れのように』(1988年)と、今も歌いつがれるヒット曲を連発させて人気を復活させました。

しかし1989年、無理を重ねた再起コンサートの連続に再入院し、52年の生涯を閉じてしまいました。没後、女性として初の国民栄誉賞が授与されました。


「6月24日にあった主なできごと」

672年 壬申の乱…古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」が始まりました。大海人皇子(のちの天武天皇)と大友皇子の争いで、およそ1か月続きました。

1611年 加藤清正死去…豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主となった加藤清正が亡くなりました。1562年に誕生した日でもあります。

1788年 田沼意次死去…江戸時代の中ごろ、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった田沼意次が亡くなりました。
投稿日:2015年06月24日(水) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)