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最新記事【2014年11月25日】

今日11月25日は、西武流通グループ・セゾングループ代表などを歴任した実業家の堤清二(つつみ せいじ)が、2013年に亡くなった日です。堤は、辻井喬(つじい たかし)のペンネームで、作家・詩人としても活躍しました。

1927年、西武グループの創業者堤康次郎の子として生まれた堤清二は、東京府立十中、成城高校を経て、1951年に東京大学経済学部を卒業すると、衆議院議長だった父康次郎の秘書を務め、1954年に西武百貨店(現そごう・西武)に入社、翌年から取締役店長として百貨店経営にたずさわりました。

1964年、康次郎の死去に伴い、西武百貨店など西武グループの流通部門を継承すると、当時阪急百貨店会長清水雅に経営手法を学びながら、スーパーマーケット西友の業績を拡大させました。また1968年に西武百貨店渋谷店、翌69年に同池袋店を開店させて成功をおさめると、パルコの経営を展開するなど積極的な出店攻勢と「感性経営」といわれる演出も話題を呼ぶなど、1980年後半には当時百貨店売上高首位の三越を抜き、日本一の百貨店になるまで成長させました。また脱大衆文化と称し、DCブランドの展開、無印良品、ファミリーマート、雑貨のロフト、セゾンカード、FM放送のJ-WAVEなどの事業や、西洋環境開発を通じてホテル経営、リゾート開発へも乗り出すなど、100社以上を傘下に持つ「セゾングループ」を形成していきました。

さらに、海外有名ブランドの導入を積極的に推進し、エルメス、ポロ、イブ・サンローラン、アルマーニなどを百貨店に導入したほか、セゾン美術館など芸術活動を支援したり、倒産した大沢商会や吉野家をグループに組み入れ、見事に再建させるなど、マスコミも清二を「財界の若きプリンス」ともてはやすようになります。

しかしバブル崩壊により、金融機関からの借入金に頼った拡大路線が破綻してしまい、1991年に堤は、同グループ代表を辞任しました。2000年には西洋環境開発を清算する際に、100億円もの私財提供を余儀なくされました。また、2005年に西武鉄道グループを率いていた異母弟の堤義明が一連の不祥事で逮捕されると、義明への批判をしたり、異母弟の猶二と共に西武鉄道へ買収提案を行うなど、西武の創業者一族としての活動も展開しました。

一方、辻井喬のペンネームで小説や詩も数多く発表しています。とくに、1991年セゾングループ代表辞任後は精力的に作家活動を行い、1993年詩集『群青、わが黙示』で高見順賞、1994年小説『虹の岬』で谷崎潤一郎賞、『父の肖像』で野間文芸賞を受賞したほか、2000年には小説『風の生涯』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞するなど、作家や詩人としても高く評価されています。


「11月25日にあった主なできごと」

1890年 第一回帝国議会…明治憲法発布翌年のこの日、帝国議会が開かれました。議会は、貴族院と衆議院の2院からなり、貴族院議員は皇族・華族、多額納税者などから選ばれ、衆議院議員は、25歳以上の男子で国税15円以上を納める人に限定されていました。
 
1892年 オリンピック復活の提唱…フランスのクーベルタン男爵は、アテネで古代競技場が発掘されたことに刺激され、スポーツによる世界平和を築こうとオリンピック復活の提言を発表、オリンピック委員会が作られ、4年後に実現しました。

1970年 三島由紀夫割腹自殺…『仮面の告白』『金閣寺』『潮騒』など、ちみつな構成と華麗な文体で人気のあった作家の三島由紀夫が、アメリカに従属する日本を憂えて自衛隊の決起をうながすも受け入れられず、割腹自殺をとげました。
投稿日:2014年11月25日(火) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)