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最新記事【2014年10月30日】

今日10月30日は、『豫譲』『刈草』『堅田の一休』など、「やまと絵」「文人画」の新しい解釈から独自の画風を創りあげた日本画家で、アララギ派歌人としても活躍した平福百穂(ひらふく ひゃくすい)が、1933年に亡くなった日です。

1877年、秋田県角館町(今の仙北市)に、四条派の日本画家平福穂庵(すいあん)の4男として生まれた平福百穂(本名・貞蔵)は、幼いころから地元の豪商のコレクションなどで、和洋折衷絵画の「秋田蘭画」に親しみ、1890年から父の手ほどきを受け、画家をめざすようになりました。ところが同年末に父が急死したために、父の後援者の援助を受け本格的に絵を学び始め、雅号を百穂として地元の絵画展に出品するようになりました。

さらに研鑚にはげもうと、1894年17歳で上京し、四条派の第一人者川端玉章の内弟子となり、1897年川端塾の先輩だった結城素明の勧めにより東京美術学校に入学。日本画や西洋画の基礎となるデッサンを学ぶと1899年に卒業後、素明らと无声(むせい)会を結成して「自然主義」をとなえ、日本画の線描とデッサンを融合した新しい写実的な日本画をめざしました。これは、日本美術院の理想主義とは対照的な絵画活動でした。しかし生活は苦しく、新聞記者をやったり、新聞や雑誌に時事スケッチや風刺漫画を書いたりしました。おおらかな性格で、絵画仲間ばかりでなく、ジャーナリズム界など、さまざまなジャンルの交友を持ちました。

やがて百穂は、日本や東洋の古典的な作品を再認識するようになり、特に俵屋宗達や尾形光琳の日本的装飾性と一体になった現実感にめざめ、いっぽう中国の文人画のおもむきを採り入れた独自の画風をつくりあげると、そのころの集大成ともいえる『豫譲』(永青文庫蔵)を、1917年第11回文展に出品し、特選となりました。『史記』の刺客伝にテーマをとった迫力に満ちた六曲一双の屏風絵は大評判となり、画家としての地位を確立しました。

1929年、ローマで開かれた日本美術展の見学をかねて、念願のヨーロッパ美術に多くふれたものの不満が残り、改めて東洋美術の奥深さを識った百穂は、帰国後にもうひとつの代表作ともいえる『刈草』を発表しました。生い茂るくさむらのなかで1頭の馬が無心に草をはむ作品は、百穂の晩年の境地を描いたといわれています。1932年には、東京美術学校教授に就任しました。

代表作には上記以外に、『朝露』 『荒磯』『玉柏』『堅田の一休』『七面鳥』『猟』などがあります。いっぽう、1903年頃から、伊藤左千夫や正岡子規らと知り合って短歌に親しむようになり、斎藤茂吉や島木赤彦らとともにアララギ派の歌人としても活躍し、歌集『寒竹』を残しています。


「10月30日にあった主なできごと」

1850年 高野長英死去…『夢物語』を著して江戸幕府批判の罪で捕らえられるものの脱獄、自ら顔を焼き人相を変えて逃亡していた蘭学者高野長英が、幕府の役人に見つかって自殺をはかりました。

1890年 教育勅語発布…この日「教育に関する勅語」(教育勅語)が発布され、翌日全国の学校へ配布。以来、1945年の敗戦まで55年もの間、皇室中心の国家的教育が進められました。

1938年 火星人来襲パニック…アメリカのラジオドラマで、オーソン・ウェルズ主演『宇宙戦争』(原作H・Gウェルズ)を放送、演出として「火星人がニュージャージー州に侵入」の臨時ニュースを流したところ、本物のニュースと勘違いした人々が大パニックをおこして町から逃げ出す人、発狂する人まで現れました。
投稿日:2014年10月30日(木) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)