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最新記事【2014年10月29日】

今日10月29日は、平安時代の末期、奥州平泉に君臨した藤原家第3代目当主で、源義経をかくまったことで知られる藤原秀衡(ふじわらの ひでひら)が、1187年に亡くなった日です。

1122年、奥州藤原家2代目基衡の長男に生まれた秀衡は、1157年に父基衡の死去を受けて家督を相続しました。奥州藤原家は祖父の清衡が、後三年の役(1083〜87)後に奥羽両国(陸奥・出羽国…今の青森・秋田・山形県と岩手の1部)を支配し、平泉に居を構え、以後3代100年にわたる栄華をほこりましたが、秀衡の時代にその頂点をきわめました。

黄金と鉄、財力をバックに、武士団17万騎の兵を誇る王者として貢馬や貢金で朝廷としっかりつながり、祖父清衡の中尊寺、父基衡の毛越(もうつう)寺に対し、宇治平等院を手本に無量光院を建て、仏教鎮護国家としての平泉の都をより充実させ、大都市に発展させていきました。

当時京の都では、保元の乱・平治の乱の動乱を経て平家全盛期を迎えていましたが、秀衡は遠く奥州にあって独自の勢力を保ちながら、鞍馬山を逃亡した源氏の御曹司の源義経をかくまって、たくましい武将に育て上げました。1180年、義経の兄頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、兄の元へ向かおうとする義経を強く引き止めたものの、義経の意が変わらないことを知ると、秀衡は伴を義経につけて送り出しました。こうして源平争乱のさなか、1181年には朝廷や平氏から「陸奥守」という東北一体をおさめる長官を任じられ、頼朝の背後をつくことを期待されましたが、鎌倉の頼朝を牽制するだけで、態度を明らかにしませんでした。

1185年に源氏が平家を滅ぼしたことで、翌年勢力を拡大してきた頼朝の呼びかけに、表面的には勢力下に入ったものの独立性を保ち、1187年2月、頼朝と対立して追われた義経を、頼朝との関係が悪化するのを覚悟で保護しました。その後、秀衡は病に倒れ、死にのぞんで国衡、泰衡の2子を呼び、義経を主君に仕えるようにと遺言して亡くなりました。

ところが、その後わずか1年半後に、泰衡は義経を討ち、まもなく頼朝により奥州藤原家は滅亡させられたのでした。


「10月29日にあった主なできごと」

1815年 井伊直弼誕生…江戸時代末期に大老となり、開国論を唱え「安政の大獄」を引き起こして尊攘派を弾圧、1860年の「桜田門外の変」で水戸浪士らに殺害された井伊直弼が生まれました。

1922年 トルコ共和国宣言…オスマン帝国を倒したトルコは、この日共和国の成立を宣言。初代大統領にムスターファ・ケマルを選びました。アタチュルク(トルコの父)として、現在に至るまで、トルコ国民に深い敬愛を受けつづけています。

1929年 悲劇の火曜日…1920年代、永遠に続くと思われていたアメリカの繁栄に大ブレーキがかかりました。5日前(暗黒の木曜日)に1日1300万株が売られて株が大暴落したため、ニューヨークの取引の中心であるウォール街は、不安にかられた投機家でごったがえし、大損して自殺する人まであらわれました。さらにこの日1630万株も売られ、ウォール街最悪の日となって、午後には株式取引所の大扉を閉じました。株はその後も売られ続け、世界中をまきこむ大恐慌となっていきました。

1945年 宝くじ発売…政府はこの日、戦後復興の資金集めのために、第1回宝くじの販売を開始しました。1枚10円、1等賞が10万円で副賞に木綿の布が2反、はずれ券4枚でたばこ10本がもらえました。評判が良かったために、翌年には1等賞金が100万円となりました。戦後数年間の宝くじには、敗戦後の物資不足を反映して、革靴、地下足袋、人口甘味料のズルチンといった景品がつき、1948年1等の副賞には木造住宅がつきました。
投稿日:2014年10月29日(水) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)