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最新記事【2018年06月04日】


● 今日(6月4日)の主なできごと

1989年 六四天安門事件……言論の自由化を推進し「開明的指導者」として国民の支持を集めた胡耀邦の死がきっかけとなって、中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民がデモをおこした。このデモ隊に対し、「中国人民解放軍」は戦車、装甲車を出動させ無差別発砲を行なって武力弾圧。中国共産党の発表は、死者は319人としているが、数百人から数万人の多数におよんだともいわれる。


● 今日の主な記念日・恒例日

虫歯予防デー……「六(む)四(し)」の語呂合せで、1928年から1938年まで日本歯科医師会が実施していた記念日だったが、現在は4日〜10日の「歯の衛生週間」になっている。

虫の日……「六(む)四(し)」の語呂合せで、漫画家の手塚治虫らの呼びかけで設立した「日本昆虫クラブ」や福島県の「カブトムシ自然王国」などが制定。

その他の記念日……土地改良制度記念日・蒸しパンの日・蒸し料理の日・ローメンの日など。


● 今日生まれた人

1621年 木下順庵……江戸時代前期の儒学者。新井白石や室鳩巣らを育てた。

1694年 ケネー……フランスの医師・経済学者。「経済学」創設者の一人。代表著作は重農主義の考え方の基礎を提供した『経済表』。
 
1857年 後藤新平……明治・大正期の政治家。内相・外相・逓信相歴任。関東大震災後に東京の帝都復興計画立案。

1869年 久原房之助……明治・大正・昭和期の実業家・政治家。日立製作所・日産自動車・日立造船・日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所総裁。

1883年 諸橋轍次……大正・昭和期の漢学者。代表作『大漢和辞典』『広漢和辞典』など。


● 今日亡くなった人

822年 最澄(伝教大師)……平安時代の僧。中国に渡って仏教を学び、比叡山延暦寺を建て「天台宗」開祖。

1611年 真田昌幸……安土桃山期から江戸時代前期の武将。戦国時代きっての知将。真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)の父。

1694年 菱川師宣……江戸時代前期の浮世絵師。「菱川派」の祖。代表作『見返り美人図』『歌舞伎図屏風』など。「最初の浮世絵師」

1771年 田安宗武……江戸時代中期の国学者。徳川御三卿田安家初代当主。第8代将軍吉宗の次男。

1928年 張作霖……中華民国の軍閥政治家。奉天派の首領。日本の関東軍が爆殺。

1941年 ウィルヘルム2世……第3代ドイツ帝国皇帝。「第1次世界大戦」を引き起こす。


● 過去のマイブログ「6月4日」のテーマ

2015年  「万葉調歌人」 田安宗武
徳川御三卿田安家の初代当主となり、荷田在満や賀茂真淵に師事し、やがて共に研鑚しあった国学者の田安宗武(たやす むねたけ)が、1771年に亡くなった日です。1715年、第8代将軍徳川吉宗の紀州藩主時代に次男として生まれた田安宗武は、幼少の頃から聡明な子として知られ、9代将軍となった兄の家重より、宗武を推す声があがるほどでした……。

2014年 『大漢和辞典』 の諸橋轍次
世界最大の漢和辞典『大漢和辞典』や『広漢和辞典』などを著した諸橋轍次(もろはし てつじ)が、1883年に生まれた日です。いまの新潟県三条市に生まれた諸橋轍次は、幼いころから父に「三字経」の素読を学んだり、地元の小学校卒業後は独学で「漢学」を学ぶなど、幼少年期から漢字に深く親しみました。新潟第一師範学校をへて……。

2013年 「第1次世界大戦」 とウィルヘルム2世
第3代ドイツ帝国皇帝として、積極的な海外進出を展開したものの、英・仏・露との対立を深めて第1次世界大戦を引き起こしたウィルヘルム2世が、1941年に亡くなった日です。1859年、第2代ドイツ皇帝フリードリヒ3世がプロイセン王子だったとき、イギリスのビクトリア王女との間の子としてベルリンに生まれたウィルヘルムは、軍人となる教育をうけ……。

2012年  俊才を育てた木下順庵
江戸時代前期の儒学者で、新井白石や室鳩巣らを育てた木下順庵(きのした じゅんあん)が、 1621年に生まれた日です。京都の錦小路に生まれた順庵は、幼いころから才気に富んで詩文ををよく作ったといわれ、13歳の時に作った『太平頌(しょう)』は後光明天皇から称賛をえたほどでした。儒学を藤原惺窩の弟子の松永尺五から学んだ……。

2010年  秀吉と毛利の和議
「本能寺の変」で主君 織田信長 の死を知った 羽柴(豊臣)秀吉 が、1582年に毛利家と和議を結んだ日です。中国地方一帯を制覇した戦国大名毛利元就(もとなり)は、隆元・元春・隆景の3人の子を呼んで、3本の矢を示していいました。「この矢を1本ずつ折ることは、いともたやすいことだ。しかし、この3本を束ねたら、どうじゃ、これはとても折れるものではない」──と。この話は、「三矢(さんし)の訓」として有名です……。

2009年  張作霖爆殺事件
満州軍閥の張作霖(ちょうさくりん)が日本の関東軍によって暗殺される事件が、1928年におこった日です。満州軍閥の頭だった張作霖は、日露戦争で日本に協力したことから、日本の関東軍に支援されて力をのばしてきました。日本政府や関東軍は、この張作霖を利用して満州を中国本土から分離して、実質的に支配しようともくろんでいました。ところが張作霖は、そんな日本のねらいを無視して……。

2008年  天台宗を開いた僧・最澄
桓武天皇が都を平安京に移し 「平安時代」 がはじまったころ、比叡山に天台宗を開き、奈良の旧仏教に対し大乗仏教を主張して、真言宗を開いた空海とともに、日本仏教の建設に務めた最澄(さいちょう) が、822年に亡くなった日です。都へつづく国分寺の前の道を、さまざまな人が通ります。家来をつれた人や、きれいに着飾った人にまじって、やせほそったからだに重い荷を背負った貧しい農民が……。

2007年  子どもに効き目のない言葉 「どうして……?」
お母さんが子どもにぶつける言葉のなかで、[わかっちゃいるけどやめられない] 言葉の代表は 「どうして?」 です。どうしてそんなことをするの? どうしてわからないの? どうしていうことをきいてくれないの? どうして勉強しないの? どうしていたずらばかりするの? どうしてそんなにのろまなの? あげたら、きりがないほどです。しかし、考えてみると、これはちょっとおかしな言葉です……。
投稿日:2018年06月04日(月) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)