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最新記事【2017年06月24日】


● 今日(6月24日)の主なできごと

672年 壬申の乱……この日、古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」が始まった。大海人(おおあまの)皇子と大友皇子の争いで、およそ1か月続いた。大海人皇子は兄の天智天皇の後継とされていたが、天智天皇の子の大友皇子との争いをさけて、吉野に退いていた。しかし前年1月に天智天皇が亡くなると、大友皇子が大海人皇子を攻略しようとしたため、大海人皇子は東国へむかい、美濃(岐阜)、尾張(愛知)で兵を集め、大津宮の大友皇子を自殺においこんで勝利し、天武天皇となった。のちに大友皇子は、弘文天皇の称号を追号されている。


● 今日の主な記念日・恒例日

UFO記念日/空飛ぶ円盤記念日……1947年のこの日、アメリカで初めてUFOが目撃されたという。アメリカの実業家ケネス・アーノルドが飛行機で移動中に、時速2700kmもの速度で急降下や急上昇を行っている9機の見慣れない飛行物体を発見。アーノルドはこの物体を「空飛ぶ円盤」と呼び、全米で報道されると、同様の目撃証言が相ついだ。事態を重視したアメリカ空軍は、これを「UFO(未確認飛行物体)」と名づけ、調査に乗り出したが正体はつかめず、1969年に「目の錯覚の類」との報告を出した。しかし、マニアが記念日とし、世界中のマニアがこの日に観測を行う。

ドレミの日……1024年のこの日、イタリアの僧侶ギドー・ダレッツオがドレミの音階を定めたことで、記念日とされる。


● 今日生まれた人

1842年 ビアス……アメリカのジャーナリスト・作家。代表作『世にも怪奇な物語』『悪魔の辞典』など。

1883年 ヘス……オーストリア出身アメリカの物理学者。宇宙線を発見。


● 今日亡くなった人

1611年 加藤清正……安土桃山・江戸時代前期の武将。豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主。1562年の誕生日でもある。

1621年 池坊専好(初代)……安土桃山時代の華道家。

1788年 田沼意次……江戸時代中期の旗本、のちに大名。「田沼時代」築く。

1950年 松方幸次郎……明治・大正・昭和期の実業家。「松方コレクション」で著名。

1980年 早川徳次……大正・昭和期の実業家・技術者。シャープ創業。

1989年 美空ひばり……昭和期の歌手。「歌謡界の女王」


● 過去のマイブログ「6月24日」のテーマ

2015年 「歌謡界の女王」 美空ひばり
昭和の歌謡界を代表する歌手・女優として活躍し、女性として初の国民栄誉賞を受賞した美空(みそら)ひばりが、1989年に亡くなった日です。1937年、横浜市磯子区に魚屋の子として生まれた美空ひばり(本名・加藤和枝)は、幼少の頃から歌が上手で、母の喜美枝は終戦間もない1945年に「青空楽団」を設立し、近所の公民館や銭湯に舞台を作ってひばりに歌わせ、9歳のとき横浜市磯子区の杉田劇場で初舞台を踏ませました。1948年9月、横浜国際劇場で歌手美空ひばりとしてデビューをはたすと、翌年に映画『のど自慢狂時代』でブギウギを歌う少女として映画初出演して注目されます……。

2014年 「松方コレクション」 の松方幸次郎
川崎造船所(今の川崎重工)を30年以上経営して造船界の基礎をこしらえた実業家、国際的に活躍した政治家、絵画・彫刻・浮世絵などを収集した美術収集家として知られる松方幸次郎(まつかた こうじろう)が、1950年に亡くなった日です。1866年、第6代内閣総理大臣をつとめた松方正義の3男として薩摩国(鹿児島)に生まれた幸次郎は、1884年に東京帝国大を中退後、アメリカのエール大学、フランスのソルボンヌ大学に留学して1890年に帰国……。

2013年  華道の基礎を築いた池坊専好
池坊花道の家元として安土桃山時代に活躍した華道家・池坊専好(いけのぼう せんこう)初代が、1621年に亡くなった日です。池坊というのは、いけばなの流派のひとつで、もともと京都・頂法寺の中にある寺院の本堂が六角形をしているため、六角堂ともよばれています。その住職は代々「専」の字が使われ、専好を名乗る住職はこれまで、池坊家31世の初代・32世の2代目・33世の3代目の3名をかぞえ、それぞれが花道宗匠として活躍しました……。

2011年 「おもしろ古典落語」27回目 『厩(うまや)火事(かじ)』
「どうしたい、お崎さん、また夫婦げんかかい?」「そうなんでございますよ。今日も、仕事で朝早くから働きづめ、いつもは5時頃に帰るんですけど、途中であたしの姉弟子にあいましたら、指をケガしちゃって当分髪を結うことができないって、で『おまえさん、あたしのお顧客(とくい)で、どうしても今日行かなくちゃならない、すまないが代わりに行ってくんないか』っていわれまして、あたしが病気にでもなって、お願いすることもありますんで、『よろしゅうございます』って、伊勢屋さんていう家に行ったんです……。

2010年  壬申の乱
古代最大の内乱といわれる「壬申(じんしん)の乱」が、672年に始まった日です。「大化の改新」以来、新しい政治をおこなってきた中大兄皇子は、668年都を近江に移し天智天皇となり、弟の大海人(おおあまの)皇子を皇太子に立てていました。しかし、病が重くなるにつれ、わが子である大友皇子を太政大臣につけて後継とする意思をみせはじめました。そんな気配に大海人皇子は本心を隠し、大友皇子を皇太子として推挙、自ら出家を申し出て吉野宮(奈良県吉野)に下りました。671年10月のことでした。まもなく天智天皇が亡くなると、大友皇子 (明治時代に入ってから「弘文天皇」の名が贈られました) が後を継ぎました……。

2009年  智勇兼備の武将・加藤清正
豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は 徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主となった加藤清正(かとう きよまさ)が、1562年に誕生、1611年に亡くなった日です。加藤清正は、尾張国(愛知県)中村に生まれ、幼名を夜叉丸といいました。父を早く失い、幼いうちに母の縁をたよって近江国(滋賀県)長浜に移り、そのころ長浜城の城主となっていた羽柴(豊臣)秀吉に仕えました。元服ご、虎之助清正と名のります。清正は、19歳のころから出陣して、次つぎに手がらをたてました。とくに、清正の名をとどろかせたのは、秀吉が柴田勝家と天下を争った賤ヶ岳の戦いです……。

2008年  江戸幕府稀有の政治家・田沼意次
江戸時代の中ごろ、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった田沼意次(たぬま おきつぐ) が、1788年に亡くなった日です。田沼意次は、江戸時代中ごろの、幕府の政治家です。父は足軽から身を起こした、あまり身分の高くない武士でしたが、第9代将軍徳川家重と第10代将軍家治につかえた意次は、将軍のそばで雑用をする小姓から、将軍の命令を老中へ伝える御側用人へ、さらに幕府最高職の老中へと、おどろくほどの大出世をしました……。

2005年 「J・チェーン訴訟される」の報道
1976年3月4日、NHKテレビの報道を忘れることは出来ない。J・チェーン本部が加盟店から訴訟を起こされたというニュースである。このニュースはすぐに新聞各紙にも載った。訴訟をおこされたことよりも、J・チェーンが「マルチ商法」という部分が強調されていたのにはこたえた。すでに「ポケット絵本シリーズ」全10集のうち、第9集までは納品済み、最終の10集目を残すのみだった。報道があった翌日、B印刷の社長が血相を変えて飛んできて……。
投稿日:2017年06月24日(土) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)