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2017年版 6月17日はこんな日


● 今日(6月17日)の主なできごと

1869年 版籍奉還……明治新政府は、藩の土地(版)と人民(籍)をこれまで治めていた藩から、天皇に返す「版籍奉還」を開始した。

1877年 モース来日……アメリカの動物学者のモースが来日し、縄文時代の貝塚「大森貝塚」を発掘したことがきっかけとなって、日本に近代科学としての考古学がスタートした。

1972年 ウォーターゲート事件……ワシントンのウォーターゲートビルにあるアメリカ民主党本部に、盗聴器をしかけようとしていた5人組がこの日、逮捕された。共和党のニクソン大統領が、次の大統領選に有利にするため、相手方の様子を知ろうとしたためとされ、1975年8月、ニクソンは大統領辞職に追いこまれた。


● 今日の主な記念日・恒例日

砂漠化および干ばつと闘う国際デー……1994年のこの日、「国連砂漠化防止条約」が採択されたことから、1995年の国連総会で制定。


● 今日生まれた人

1239年 エドワード1世……イギリス(イングランド)王。ウェールズを制圧し、法治国イギリスの基礎を築く。

1818年 グノー……フランスの作曲家。代表作 『ファウスト』『賛歌と教皇の行進曲』など。

1832年 クルックス……イギリスの化学者・物理学者。タリウムの発見や陰極線の研究に成果。

1869年 藤原銀次郎……大正・昭和期の実業家。「製紙王」

1882年 ストラビンスキー……ロシアの作曲家。代表作 バレー曲『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』など。

1920年 原節子……昭和期の映画女優。代表作『わが青春に悔なし』『青い山脈』『東京物語』『秋日和』など。


● 今日亡くなった人

1611年 堀尾吉晴……安土桃山・江戸時代前期の武将。

1857年 阿部正弘……江戸時代後期の幕府老中首座。安政の改革を断行。

1863年 箕作阮甫……江戸時代後期の蘭方医・蘭学者。医書のほか多分野の訳書。


● 過去のマイブログ「6月17日」のテーマ

2015年 「模範議会」 のエドワード1世
ウェールズを制圧し、騎士と市民の代表を議会に参加させるなど、法治国イギリスの基礎を築いたエドワード1世が、1239年に生まれた日です。フランス貴族の流れをくむ「プランタジネット朝」のイングランド王ヘンリー3世の長男として生まれたエドワードは、1265年に父王と貴族との間に争いがおきたとき、貴族派の指導者でイギリス下院を創設したシモン・ド・モンフォールや改革派の諸侯と「イーブシャムの戦い」に勝利し、国王の権威をとりもどしました……。

2014年 「製紙王」 藤原銀次郎
倒産寸前だった王子製紙を再建し、巨大製紙企業につくりあげた実業家で、政界、教育界にも力を尽くした藤原銀次郎(ふじわら ぎんじろう)が、1869年に生まれた日です。現在の長野市に、藍問屋を営む豊かな農家に生まれた藤原銀次郎は、16歳のとき医者になることを条件に上京しました。しかし、医学の道には進まず慶応義塾に入って1889年に卒業後、島根県の地方紙「松江新報」の新聞記者になりました。ところが社が経営不振におちいったことで、藤原は社を引き受けて社長兼主筆となったものの、用紙の入手にてこずって再建に失敗し、帰京しました……。

2013年 「安政改革」 の阿部正弘
幕末に幕府の老中首座として日米和親条約を結び、安政改革を断行した阿部正弘(あべ まさひろ)が、1857年に亡くなった日です。1819年、備後(広島県)福山藩主で、当時幕府の老中だった阿部正精(まさきよ)の6男として江戸藩邸に生まれた阿部正弘は、1836年18歳のとき福山藩主となり、1840年には幕府の寺社奉行にばってきされました。寺社奉行として3年余の働きが高く評価された正弘は、1843年わずか24歳で、幕府最高の要職老中に任じられ……。

2011年  現代音楽の父・ストラビンスキー
3大バレー曲『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』など、20世紀音楽最初の巨人作曲家といわれるストラビンスキーが、1882年に生まれた日です。イーゴル・ストラビンスキーは、帝政ロシアの首都だったペテルブルク(現サンクトペテルブルク)近郊に生まれました。マリンスキー劇場の主役歌手だった父は、幼いころからストラビンスキーにピアノや作曲を教えましたが、音楽家にする気はなく、ペテルブルク大学で法律を学ばせました……。

2010年  日本考古学の父・モース
アメリカの動物学者のモースが1877年に来日した日です。モースが、縄文時代の貝塚「大森貝塚」を発掘したことがきっかけとなって、日本に近代科学としての考古学がスタートしました。1838年、アメリカの最東北部メイン州のポートランドに生まれたエドワード・モースは、学校の成績はかんばしくありませんでしたが、13歳ごろから採集しはじめた貝類の標本は、学者が見学にくるほど立派なものでした。その後も貝の研究に熱中し、1857年には新種のカタツムリを博物学協会誌に発表するほど、貝の研究家として注目されるようになりました……。

2009年  版籍奉還のはじまり
明治維新によって260年つづいた徳川幕府が倒れ、明治新政府が誕生しました。そして、藩の土地(版)と人民(籍)をこれまで治めていた藩から、天皇に返すという「版籍奉還(はんせきほうかん)」が、1869年のこの日からはじまりました。明治新政府の急務は、幕藩体制の解体を行い、王政復古の実質的な完成をめざすことでした。そのためには、各藩主が支配する土地と人民を、政府が支配しなくてはなりません……。

2008年  [おもしろ民話集 45] うかれバイオリン
むかし、ある農家で働いている若者がいました。若者はとても正義感の強い働き者で、つらい仕事でもいやな顔ひとつせずに、3年がすぎました。ところが主人はとてもけちな人で、若者に給料をはらいませんでした。そんなある日、若者は 「だんなさま、3年も働いたのですから、少しは給料をくれませんか」 と、思いきっていいました。すると主人は 「わかった。わしは前からたっぷりやりたいと思っていたところだ。さぁ、手をお出し。1年に銅貨を1枚、全部で3枚。大ふんぱつだ」 若者はこれまで、お金をもらったことがなかったので、よろこんで農家をあとにしました……。

2005年  キャメロン・ハイランド
私の趣味は何かといわれれば、迷うことなく「作曲」と答える。作曲といっても、私は専門の音楽教育をまったく受けたことがなく、自己流でおぼえたギターをかきならしながら、メロディづくりをするレベルである。20代のはじめの頃は、結構歌づくりにはまりこみ、高校時代の友人K君らと作詞・作曲のコンビを組んで100曲以上もこしらえ、この道で飯が食えたらいいなと夢想したこともあった。しかし、編集の仕事に携わりだしたころから、2足のわらじをはけるほど本作りの世界は甘くはないと自覚したこともあり、曲作りからできるだけ避けるように……。
投稿日:2017年06月17日(土) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)