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最新記事【2017年02月08日】


● 今日(2月8日)の主なできごと

1887年 郵便マークが「〒」に……逓信省(のちの郵政省)のマークが逓信の「テイ」に合わせて甲乙丙丁の「丁」に決定した。しかし、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしいことがわかり、6日後の14日に、「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」の誤りだったことにして変更。

1904年 日露戦争開戦……日本とロシアは朝鮮半島と中国東北部(満州)をどちらが支配するかで争っていた。半年にもわたる交渉もいきづまったことで、2日前の御前会議は対ロシアへの開戦を決めていた。この日の夜、旅順港近くに到着した日本連合艦隊は、夜の闇にまぎれて停泊中のロシア艦隊に水雷攻撃を加え、大打撃を与えて日露戦争が勃発。(正式に、双方が宣戦布告したのは2月10日)

1950年 『原爆の図』……画家の丸木位里・俊夫妻は、東京都美術館で『8月6日』という題(のちに『原爆の図』に改題)の第1部「幽霊」を発表。被爆直後の広島での救援体験をもとに、巨大な屏風に描かれた作品は、その後各地で展示され、大きな反響をよんだ。その後も夫妻は、「火」「水」「虹」「少年少女」など15部まで描きつづけ、埼玉県東松山市の「丸木美術館」に1部から14部を常設展示し、15部の「長崎」は長崎原爆資料館が所蔵している。

1982年 ホテルニュージャパン火災……東京・永田町のホテルニュージャパンで火災がかおこり、死者33人負傷者34人の大惨事になった。スプリンクラー不設備など消防法違反で横井秀樹社長を業務上過失致死の容疑で逮捕、禁固3年の実刑判決。


● 今日の主な記念日・恒例日

〒マークの日……郵便マークが正式決定したのを記念に制定。

針供養の日……いたんだ針を供養する行事で、折れた針などを豆腐やこんにゃくに刺して、裁縫の上達を願う。(地方によっては12月8日に行われる)
 

● 今日生まれた人

1716年 伊藤若冲……江戸時代中期の画家。代表作『動植綵絵(さいえ)』『仙人掌(さぼてん)群鶏図』など。

1765年 十返舎一九……江戸時代中・後期の黄表紙・洒落本・合巻作者。代表作『東海道中膝栗毛』など。

1819年 ラスキン……イギリスの芸術批評家・画家。

1828年 ベルヌ……フランスの小説家。代表作 『80日間世界一周』 『海底2万マイル』 『地底探検』 『十五少年漂流記』 など。ウェルズとともにSFの開祖。

1931年 ジェームズ・ディーン……アメリカの映画俳優。代表作『エデンの東』『理由なき反抗』など。


● 今日亡くなった人

1725年 ピョートル大帝……ロシアの皇帝。ヨーロッパ列強の1国に発展させ、バルト海交易ルートを確保。

1915年 長塚節……明治期の歌人・小説家。代表作『土』など。 

1921年 クロポトキン……ロシアの革命家。アナキズム(無政府主義)の理論家。

1944年 添田唖蝉坊……明治・大正・昭和期の演歌師。代表作『ラッパ節』など。流行歌の祖。

1995年 五味川純平……昭和・平成期の小説家。代表作『人間の條件』『戦争と人間』『御前会議』『ノモンハン』『ガダルカナル』など。


● 過去のマイブログ「2月8日」のテーマ

2013年 「おもしろ古典落語」105回目 『反対車(はんたいぐるま)』
明治を代表するのりものといいますと、「人力車」ですね。梶棒(こんぼう)をにぎった車夫が、ひとりかふたりの客を乗せて、「ほらよッ、はいッ…」と気合いを入れて、ガラガラッと走りました。この人力車が発明されましたのが明治3年、これは便利だっていうので、たちまち流行しまして、十年後の明治13年には東京だけでも15万6千台にもなったっていうんですから、もう町ん中は人力車の洪水です……。

2012年 「おもしろ古典落語」58回目 『寝床(ねどこ)』
江戸時代に名人といわれた蜀山人(しょくさんじん)の狂歌に「まだ青い しろうと浄瑠璃 玄人(くろ)がって 赤い顔して 黄な声を出す」なんていうのがあります。浄瑠璃の親戚のような、物語を歌にした義太夫(ぎだいゆう)というのが明治・大正のころに流行しました。ある商家のだんなも、下手な義太夫にこっていて、なんとか人に聞かせたがります……。

2011年  無政府主義のクロポトキン
ロシアの革命家、アナキズム(無政府主義)の理論家の一人で地理学者のクロポトキンが、1921年に亡くなった日です。ピョートル・クロポトキンは、その一生を貧しく虐げられた人々の幸福のためにささげましたが、自身は1842年、代々宮廷での要職をになってきた名門貴族の3男としてモスクワに生まれました……。

2010年  ロシア帝国初代皇帝・ピョートル大帝
ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、バルト海交易ルートを確保したピョートル大帝が、1725年に亡くなった日です。ピョートル大帝は、頑丈な体と何ものにも負けない強い意志を持ち、ロシアの近代化をすすめました。ピョートル大帝が1672年に生まれたころのロシアは、たいへんおくれた国でした。政治のすすめ方が古く、そのため産業や文化、教育など、あらゆる点で西ヨーロッパにおくれをとっていました……。

2008年  ルノアール 「坐るジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
前回の「セザンヌ自画像」に続き、ブリヂストン美術館所蔵作品、印象派の巨匠ルノアールの「坐るジョルジェット・シャンパンティエ嬢」をとりあげてみましょう。ルノアールは、19世紀の後半にフランスで花開いた「印象派」の画家の一人で、やはり光と色彩の画家でした……。

2007年  大きな心を育てるしつけ
むかしの親、とくに父親は、わが子によく 「おまえは大きくなったら、何になるんだ」 と、しんけんに問いました。そして、子どもが 「○○になる」 と言えば 「そうか○○になるか。それじゃ、○○のなかでも、いちばんえらい人になるようにがんばれ」 と励ましました。また、ときには、わが子に 「人はなあ」 「人生とはなあ」 「人間とはなあ」 などと語りかけました……。

2006年  幸福の王子他 3
ツバメは幸福の王子のところへ飛んで帰り、自分のしたことを伝えました。「不思議なんですが、私はもう、あまり寒さを感じなくなりました」 と、ツバメは言いました。「それは君がよい行いをしたからだよ」 と、王子は言いました……。
投稿日:2017年02月08日(水) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)