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最新記事【2015年09月15日】

今日9月15日は、シェーンベルクやベルクと並んで新ウィーン楽派の中核メンバーとして活躍し、『子どものための小品』など、戦後の前衛音楽勃興の中で再評価されたオーストリアの作曲家ウェーベルンが、1945年に亡くなった日です。

1883年、当時オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンにクロアチアなどに領地を所有する貴族の家庭に生まれたアントン・ウェーベルンは、鉱山技師の父親とともにオーストリア帝国各地を転々としますが、幼いころから母にピアノ指導を受け、少年時代はクラーゲンフルトのギムナジウムでピアノ・チェロ・音楽理論を学びました。1902〜06年にはウィーン大学でアドラーらに音楽学を学び、イザークに関する論文で学位を得ました。

いっぽう1904〜08年、シェーンベルクに個人的師事を受けて作曲修行を続け、1908年に『パッサカリア ニ短調』を評価されて独立を許されました。独立後は、イシュルやテプリツ、ダンツィヒ(今のグダニスク)、シュテッティーン、プラハなどで指揮者として活動し、第一次世界大戦後にウィーンへもどり、シェーンベルクを輔佐して私的演奏協会を設立しました。また、シェーンベルク門下のベルクとともに研さんしあって、無調音楽から「十二音技法」を確立し、1924年には、師の発案した12の音からなる音列(十二音技法)を用いた最初の作品『子どものための小品』を作曲しました。基本音列をさまざまな音の高さに分配して6回用いるだけの単純な構成で、何度くりかえしてもよいと指示されています。

1938年にナチス・ドイツによってオーストリアが吸収合併されると、ウェーベルンの音楽は「頽廃音楽」のらく印を押され、演奏活動で生計を立てることは困難になりました。終戦後に作曲活動を再開しようと、ザルツブルク近郊にあった娘の家に避難しますが、娘婿が元ナチの親衛隊で、当時は闇取引に関与していました。たまたま、喫煙のためにベランダに出てタバコに火をつけたところを、オーストリア占領軍の米兵により、闇取引の合図と誤解され、その場で射殺されてしまったのでした。

不慮の死をとげてからは、遺品の多くはモルデンハワーという研究者の手にわたり、31番までついていた作品番号以外に、習作となるオーケストラ作品、室内楽、歌曲があるのを見つけ、公表後に出版しました。『子どものための小品』もそのひとつです。ウェーベルンの作品はどれも短く、その全集はCD3枚に収められるほどですが、「十二音技法」も師のシェーンベルクよりもはるかに厳密で、緻密な独自の世界は「音の点描」とか「抽象的印象主義」とよばれ、戦後の前衛音楽家たちに多大な影響を与えることになりました。


「9月15日にあった主なできごと」

1140年 鳥羽僧正死去…平安時代後期の天台宗の高僧でありながら絵画にも精通して、「鳥獣戯画」の作者とされる鳥羽僧正が亡くなりました。

1600年 関ヶ原の合戦…天下分け目の戦いといわれる合戦が、岐阜県南西部の地「関ヶ原」でおこりました。徳川家康ひきいる東軍と、石田三成ひきいる西軍との戦いです。一進一退をくりかえしていたのが、西軍として参戦していた小早川軍が東軍に寝返ったことことで西軍は総崩れし、東軍の圧勝に終わりました。これにより、全国支配の実権は、家康がにぎることになりました。

1825年 岩倉具視誕生…公家出身で、幕末から明治前期に活躍した政治家の岩倉具視が生まれました。

1881年 魯迅誕生…20世紀初頭の旧中国のみにくさを鋭く批判した『狂人日記』『阿Q正伝』を著した魯迅が生まれました。
投稿日:2015年09月15日(火) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)