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最新記事【2015年06月19日】

今日6月19日は、自民党の最大派閥「経世会」を創設し、第74代総理大臣として消費税の導入、「ふるさと創生」を推進した政治家の竹下登(たけした のぼる)が、2000年に亡くなった日です。

1924年、今の島根県雲南市に酒造業を営む旧家の長男として生まれた竹下登は、旧制松江中学、早稲田第一高等学院を経て早稲田大学商学部に入学するものの1944年、学徒動員により陸軍飛行隊に入隊、陸軍少尉として終戦をむかえました。1947年に同大を卒業後に郷里へもどり、中学代用教員をつとめながら青年団活動で政治基盤を築き、1951年島根県議会議員に初当選。1958年からは、島根全県区から衆議院議員に当選し、連続当選14期をつとめあげました。

その間に竹下は、第3次佐藤内閣の官房長官、第2次田中内閣の官房長官、三木内閣の建設大臣、第2次大平内閣の大蔵大臣、中曽根内閣発足から大蔵大臣を4期連続で務めるなど、得意の「根回し・気配り」で政策調整、国会対策に活躍しながら要職を歴任しました。特に大蔵大臣在任時の業績としては、1985年に先進5ヵ国蔵相会議でドル安を推進する「プラザ合意」に加わったことが挙げられます。

1985年に田中派から独立して創世会を旗揚げ、1986年創政会を解散して自民党幹事長となり、1987年竹下派113人を率いて「経世会」を結成すると、自民党最大派閥となって党を支配、1987年に第74代内閣総理大臣に就任しました。

主な業績としては、税制改革に取り組み、1989年に「消費税」の導入を実現したほか、全国の市町村に一律1億円を交付する「ふるさと創生」事業を実施したことでしょう。1989年には、昭和天皇死去に伴い、「昭和」から「平成」への移行に尽力しました。その後、消費税導入による不人気や、「リクルート事件疑惑」をきっかけに政治不信が広がり、1989年6月に退陣しました。

1991年自民党最高顧問に就任後も、陰の実力者として政界に重きをなし、退任後は「平成の語り部」を自称して以後の内閣に影響力を行使し続けましたが、竹下派が小渕派と羽田派に分裂してからは影響力は少しずつ低下、2000年5月に政界引退を表明しました。


「6月19日にあった主なできごと」

645年 元号のはじまり…元号とは、明治・大正・昭和・平成のような年代の数え方で、645年のこの日、蘇我氏を倒した中大兄皇子(のちの天智天皇)が、わが国初の元号「大化」を定めました。江戸時代以前は、大きなできごとがあるたびに元号が変わっていましたが、明治から、天皇の即位から亡くなるまでを一つの元号とする「一世一元制」となりました。

1129年 白河上皇死去…天皇として初めて院政をはじめ、43年間もその地位についた白河天皇(上皇)が亡くなりました。

1909年 太宰治誕生…『人間失格』『走れメロス』『斜陽』『晩年』『ヴィヨンの妻』などを著した作家太宰治が生れました。なお、この日は、1948年に入水自殺した太宰の遺体が発見された日でもあり、「桜桃忌(おうとうき)」とよばれて、太宰をしのぶ人たちが、三鷹市禅林寺にあるお墓の前に集うことで知られています。
投稿日:2015年06月19日(金) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)