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最新記事【2015年06月18日】

今日6月18日は、唐の玄宗皇帝に尊ばれて経典5000余巻を日本にもたらし、政界にも勢力をふるった法相宗の僧玄ム(げんぼう)が、746年に亡くなった日です。

玄ムがいつどこで生まれ、どのように育ったかについてはほとんどわかっていません。出家する前の名(俗姓)は阿刀氏で、716年に遣唐大使の多治比県守にしたがって、吉備真備や阿倍仲麻呂とともに入唐し、学問に励みました。当時の中国は盛唐といわれる玄宗皇帝時代で、玄ムは18年もの間、おもに法相(ほっそう)宗の智周に学び、天子の玄宗も玄ムを尊んで、三品(書画における3品格)に準じて紫袈裟を着用させるほどでした。

735年、遣唐大使多治比広成とともに帰国しますが、帰国に際して諸仏像のほか仏教の経典およびその注釈書5048巻を持ち帰りました。聖武天皇の皇后である光明皇后の主導する写経所に提供したことで、わが国の経論を豊富にし、その発展に大きな貢献をしました。

日本の朝廷も、唐と同様に玄ムへ紫袈裟を与えて着用させ、736年に封戸(ふこ=俸禄)を与え、翌737年僧正(僧官の最上位)に任じ、内道場(内裏において仏像を安置し仏教行事を行う建物)に入りました。やがて、聖武天皇の母藤原宮子の病気を、祈祷により回復させたことで、橘諸兄(もろえ)政権を支える吉備真備とともに、天皇の寵愛が目立つようになりました。

しかし、玄ムに対して一部の人々の批判が強くなり、740年には藤原広嗣が「玄ムと真備を排除せよ」という要求をして、九州大宰府で反乱を起こしました(藤原広嗣の乱)。乱は鎮圧されましたが、聖武天皇は都を恭仁(くに=京都)に移し、鎮護国家を願って741年、「国分寺建立の詔」を発しました。さらに疫病がひろがったことで、都を滋賀の紫香楽(しがらき)宮、大阪の難波京に移したりしたのち、平城(奈良)に移したのは745年のことでした。

このころから藤原仲麻呂が勢力を伸ばし、玄ムは封戸を奪われただけでなく、大仏造営の勧進役を行基が大僧正となって行うことになり、筑紫国(福岡)の観世音寺に移され、この地で亡くなりました。


「6月18日にあった主なできごと」

1815年 ワーテルローの戦い…エルバ島から脱出したフランス皇帝ナポレオン1世は、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍に、「ワーテルローの戦い」で敗れました。

1940年 レジスタンス…ヒトラー率いるドイツとの戦いに敗れ、首都パリが陥落すると、フランス軍将軍のド・ゴールはイギリスへ亡命することを決断。ロンドンのBBCラジオを通じて、対独抗戦の継続と抵抗(レジスタンス)をフランス国民に呼びかけました。

1945年 ひめゆり学徒隊集団自決…太平洋戦争の末期、沖縄では一般市民を巻きこんだ地上戦が行なわれていました。この戦いで、負傷兵の看護を行なってい女子学徒隊は、軍に解散命令を出されたことでアメリカ軍に包囲された洞窟内で、49名が集団自決をしました。さらに沖縄戦終了までに、生徒123人、教師13人が亡くなりました。その霊をなぐさめ、悲劇を二度とくりかえしてはならないという願いをこめた「ひめゆりの塔」が、沖縄県糸満市に建てられています。
投稿日:2015年06月18日(木) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)