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最新記事【2018年04月01日】


● 今日(4月1日)の主なできごと

1938年 国家総動員法の公布……1937年7月、北京郊外の盧溝橋での日中の衝突事件に端を発した日華事変は、急速に激化の一途をたどった。広大な中国の山野で活動する大軍の需要を満たすため、この日国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる権限を規定した「国家総動員法」を公布。

1945年 米軍が沖縄本島に上陸開始……この日の朝8時半、ニミッツ大将指揮下の米軍兵6万人が嘉手納海岸に上陸し、4月中旬には北部を占領。6月22日までに南部のほぼ全ての地域を制圧した。犠牲者は、日本軍兵士6万人ばかりでなく、民間人10万人以上。民間人犠牲者の多くは、自決によるものだった。沖縄は、太平洋戦争中、国内で唯一の戦場となった。

1964年 海外旅行の自由化……日本人の観光目的の海外渡行が自由化された。ただし、年1回、持ち出しは500ドルまでの制限付。それまでは、政府関係者か、仕事や留学目的に限られていた。1966年に回数制限が撤廃され、物見遊山の海外旅行が広がり始めた。


● 今日の主な記念日・恒例日

エイプリルフール(四月馬鹿)……罪のないウソをついても良いとされる日。日本では「四月馬鹿」ともいわれる。その由来には、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用したところ、これに反発した人々が4月1日を「ウソの新年」としてばかさわぎするようになったなど、さまざまな説がある。日本には、エイプリルフールという言葉が大正時代に伝わり、一般的になったのは昭和初期から。

新会計年度/新学期/入社式……明治政府は、1886年に会計年度を現在の4月から翌年3月までとした。それ以後、国や多くの会社では、新しい年度予算により仕事をはじめ、学校は新学期をむかえて入学式が行われ、会社では入社式が行われる。


● 今日生まれた人

1173年 親鸞……鎌倉時代前期の僧侶。『南無阿弥陀仏』と念仏をとなえるだけで成仏できると説く「浄土宗」を開いた法然に学び、その教えを発展させて「浄土真宗」を開く。

1809年 ゴーゴリ……ロシアの小説家。代表作『検察官』『外套』『死せる魂』など。

1815年 ビスマルク……プロシア、ドイツの政治家。ドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相」の異名。

1868年 ロスタン……フランスの劇作家。代表作『シラノ・ド・べルジュラック』など。

1870年 浜口雄幸……大正・昭和期の財政家・政治家。第27代首相。


● 今日亡くなった人

1940年 ホブソン……イギリスの経済学者。代表作『帝国主義論』など。

1976年 エルンスト……ドイツ出身でフランスの前衛画家。コラージュを創始。

1980年 五味康祐……昭和期の小説家。代表作『柳生武芸帳』など。


● 過去のマイブログ「4月1日」のテーマ

2015年 「イメージの錬金術師」 エルンスト
ダリと並び、超現実主義(シュルレアリスム)の代表的な画家として活躍したドイツ出身でフランスに帰化したエルンストが、1976年に亡くなった日です。1891年、ドイツ西部にあるケルン近郊のブリュールに生まれたマックス・エルンストは、1909年にボン大学哲学科に入学し、心理学、美術史、精神病理学を学ぶうち、ピカソやキリコらの表現主義に魅かれて絵を描くようになり……。

2014年 「帝国主義批判」 のホブソン
『帝国主義論』などたくさんの著作を通して、帝国主義・軍国主義を批判したイギリスの経済学者ホブソンが、1940年に亡くなった日です。1858年、イングランドのダービー市に生まれたジョン・アトキンソン・ホブソンは、1880年からオックスフォード大学で古典学を学び、1887年卒業後に同大学の講師となります。ところがまもなく、発表した『産業の生理学』が大学から非難され辞職させられてしまいました……。

2013年 「ライオン宰相」 浜口雄幸
大蔵官僚から政治家に転じ、大蔵大臣、内務大臣をへて第27代総理大臣となってロンドン軍縮条約を成立させたものの、テロに屈した浜口雄幸(はまぐち おさち)が、1870年に生まれた日です。土佐国五台山村(今の高知市)の林業を営む水口家の3男に生まれた雄幸は、1889年19歳のとき富豪浜口家の娘と結婚し浜田家を継ぎました。第三高等中学を経て、1895年に東京帝国大学法科を卒業して大蔵省に入り……。

2011年  風刺文学のゴーゴリ
『ディカーニカ近郷夜話』『ミルゴロド』『検察官』『外套』『死せる魂』などの作品で知られるロシアの作家ゴーゴリが、1809年に生まれた日です。ニコライ・ゴーゴリは、現在のウクライナ共和国にある小村ソロチンツィの、あまり豊かではない地主の家に生まれました。中学時代に小説や演劇に興味を持ち、16歳のとき父が亡くなると、役者をめざして首都ペテルブルクに出ました。しかし、役者としては誰も認めてくれず、下級役人となものの、卑屈な役人の姿に幻滅して……。

2009年  鉄血宰相ビスマルク
プロイセン王の右腕としてドイツ統一をめざして鉄血政策を推進し、1871年にプロイセン王をドイツ皇帝として戴冠させ、ドイツ統一をなしとげたビスマルクが、1815年に誕生した日です。19世紀初めのドイツは、40近い国に、こまかくわかれていました。そして、そのなかでも勢力の強いプロイセンとオーストリアの2つの国が、自分の国を中心に、1つに統一したドイツ国家の建設を狙っていました。オットー・フォン・ビスマルクは、プロイセンによる統一をなしとげた……。

2008年  [おもしろ民話集 40] パタパタとプウプウ
昔ある村のお寺に、少しばかり欲ばりな和尚さんと、珍念と万念というふたりの小僧がいました。和尚さんは、檀家からおもちをもらっても、小僧たちに分けてやらずに、いつも一人で食べてしまいます。今夜も、小僧たちが寝るのを待って、自分の部屋でおもちを焼いていました。やがて、ぷっくりおもちがふくれて、とってもよいにおいです。「おう、焼けたぞ、焼けた」……。
投稿日:2018年04月01日(日) 05:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)