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最新記事【2017年09月04日】


● 今日(9月4日)の主なできごと

1943年 猛獣薬殺慰霊祭……太平洋戦争中、上野動物園の猛獣が空襲で檻から逃げ出すのを防ぐため、27頭の猛獣すべてを薬殺する命令が下され、この日慰霊祭が行われた。

1994年 関西国際空港開港……最初の計画から20年目のこの日、大阪・泉州沖の人工島に、関西国際空港が開港した。世界初となる本格的な海上空港で、わが国初の24時間運用空港となった。


● 今日の主な記念日・恒例日

くしの日……「く(9)し(4)」の語呂合せから、美容関係者の団体などが1978年に制定。

その他の記念日……串の日・クラシック音楽の日・オークションの日などがある。


● 今日生まれた人

1824年 ブルックナー……オーストリアの作曲家。交響曲(0〜9番)や『テ・デウム』など宗教音楽の大家。

1913年 丹下健三……昭和・平成期の建築家・都市計画家。代表作『広島平和記念公園』『新東京都庁』など。

1914年 坪内寿夫……昭和・平成期の実業家。「来島どっく」「佐世保重工業」など「再建王」

1936年 梶原一騎……昭和期の漫画原作者。『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』など。


● 今日亡くなった人

1820年 浦上玉堂……江戸時代後期の文人画家。代表作『凍雲篩雪図』『山中結廬図』『酔雲醒月図』など。

1913年 田中正造……明治・大正期の政治家・社会運動家。「足尾銅山鉱毒事件」を明治天皇に直訴。

1946年 白瀬矗……明治期の陸軍軍人・探検家。日本人初の南極探検。

1965年 シュバイツァー……ドイツ出身の神学者・医師・音楽家。アフリカ赤道直下の国ガボンの原住民への医療などに生涯を捧げた。「密林の聖者」

1990年 大石真……昭和・平成期の児童文学作家。代表作『チョコレート戦争』『たたかいの人田中正造』など。


● 過去のマイブログ「9月4日」のテーマ

2015年 「個性的山水画」 の浦上玉堂
江戸時代後期に活躍した文人画家で、池大雅と並び南画を代表する浦上玉堂(うらかみ ぎょくどう)が、1820年に亡くなった日です。1745年、岡山藩の支藩鴨方藩(今の岡山県浅口市にあった小藩)の藩邸に生まれた浦上玉堂(通称・兵右衛門)は、兄が早世し父が7歳のときに亡くなったため、幼くして家の跡目を継ぎました。10歳で藩校に入って熱心に学び……。

2014年 「世界的建築家」 丹下健三
戦後から高度経済成長期にかけて多くの国家プロジェクトを手がけ、「世界のタンゲ」といわれた建築家の丹下健三(たんげ けんぞう)が、1913年に生まれた日です。大阪府堺市に生まれた丹下健三は、銀行に勤める父の転勤で生後まもなく中国の漢口に移り、やがて上海の小学校で学ぶうち、数学や天体観測に夢中になりました。1926年に愛媛県今治市に……。

2013年  元素(げんそ)ってなーに?
身のまわりにあるすべてのもの、動物や植物などの生きもの、家などの建物、水や空気など、数千万種類という世の中のすべての物質は、ひとつ以上の元素が、小さな部品となって化合(化学的に組み合わされる)したり、まじりあったりしてできています。でも、これまでに知られている元素はわずか118種類で、自然界にあるのは90種類ほど……。

2012年  不屈の闘士・田中正造
日本初の公害事件といわれる「足尾銅山鉱毒事件」を告発した田中正造(たなか しょうぞう)が、1913年に亡くなった日です。1841年下野国(現・栃木県)の村役人の頭である名主の家に生れた田中は、若いころから正義感が強く、父のあとをついで名主となったものの、幕末には領内の悪政改革運動にのりだしたことから、明治維新直前の1868年に投獄され……。

2008年  [おもしろ民話集 49] 王妃になった羊飼いの娘
ある国の王様が、「石をうち殺して、血を流させることができれば、この国第一の若者とする」 というおふれを出しました。国じゅうから若者がやってきましたが、だれもできませんでした。ある村に、とても賢いと評判の羊飼いの娘がいました。娘はおふれの話を聞くと、若者の姿に変装して、王様に 「挑戦します」 と申し出たのです。このうわさは、たちまち……。

2007年  [おもしろ民話集 12] 「うわはめ」 と 「たのきゅー」
むかしあるところに、「たのきゅー」 という、へんな名前の男がいました。いつも、村から町へまわってあるく芝居の役者です。あるとき、遠くの町へ手紙がきました。母が病気だというのです。たのきゅーは、すぐ、家へかえることにしました。ところが、山のふもとで日がくれてしまいました。昼でも、こわいような山です。そのうえ、山のふもとの店のばあさんが……。

2006年 「ナポレオン」のこども時代
貴族の家で、13人きょうだいの2番目の子として生まれたナポレオンは、いたずらっこのうえに、たいへんがんこな少年でしたが、あるとき、家の畑のイチジクの木にのぼって、おいしそうな実を、ひとつのこらず食べてしまいました。そして、これが見つかって、きびしくしかられました。さて、それからしばらくして、おじさんが家へやってきたときのこと……。
投稿日:2017年09月04日(月) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)