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最新記事【2017年09月05日】


● 今日(9月5日)の主なできごと

1905年 日露講和条約(ポーツマス条約)調印……この日、アメリカ・ポーツマスで「日露講和条約」が調印され、日露戦争が終結した。樺太の南半分の支配は認められたものの、賠償請求は全面的に撤回された。これに反発した各地の市民会議は条約破棄や戦争継続が決議され、とくに東京日比谷公園で開かれた全国会議では暴徒化した市民が新聞社、大臣官邸、交番を襲ったり民家や教会、電車などを焼打ちにした(日比谷焼打ち事件)。東京市は戒厳令を布告。

1972年 ミュンヘン五輪でゲリラ……旧西ドイツで行われたミュンヘンオリンピック開催中のこの日、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手団宿舎を襲撃し、選手11名を人質に立て蘢った。翌日、救出に失敗し人質全員と犯人5名、警官1名が死亡。


● 今日の主な記念日・恒例日

クリーンコールデー(石炭の日)……「ク(9)リーンコ(5)ール」の語呂合せから、通商産業省(今の経済産業省)の呼びかけにより、日本鉄鋼連盟・電気事業連合会・日本石炭協会等8団体が1992年に制定。


● 今日生まれた人

1638年 ルイ14世……フランスブルボン王朝の第3代国王。「太陽王」

1889年 南原繁……大正・昭和期の政治学者・評論家。東大総長歴任。

1903年 棟方志功……昭和期の版画家。仏教を題材に生命力あふれる独自の板画。


● 今日亡くなった人

1566年 スレイマン……オスマン帝国第10代スルタン。地中海の制海権をにぎり「世界の帝王」と呼ばれた。

1836年 最上徳内……江戸時代中・後期の探検家。

1857年 コント……フランスの哲学者・数学者・社会学者。「実証主義」の始祖。
 
1933年 巖谷小波……明治・大正期の小説家・童話作家。

1989年 入江徳郎……昭和期のジャーナリスト・キャスター・評論家。

1997年 マザー・テレサ……カトリック修道女・聖人。「神の愛の宣教者会」創立者。

2015年 原節子……昭和期の映画女優。代表作『わが青春に悔なし』『青い山脈』『めし』『東京物語』など。


● 過去のマイブログ「9月5日」のテーマ

2014年 「全面講和」 を主張した南原繁
戦後に東大総長を務め、教育改革を指導したことで知られる政治学者の南原繁(なんばら しげる)が、1889年に生まれた日です。現在の香川県東かがわ市に製糖業を営む家に生まれた南原繁は、2歳のときに両親が離婚したため、幼年期から母親の手ひとつで厳しく育てられました。香川県立旧制大川中学を卒業後に上京、第一高校で校長の新渡戸稲造から大きな影響を受け、西洋文明との出会いにより、これまでの儒教によって育まれた人生観を変える……。

2013年  [おもしろ民話集 98] なら梨とり
むかし、太郎、次郎、三郎という親孝行の三人兄弟がありました。父親は早く亡くなったため母親だけになりましたが、その母親も病気でずっと寝たきりになってしまい、日一日とやせていくばかりです。兄弟たちは母親の枕元で「おっかぁ、なにか食べたいものはないか?」とたずねました。「そうだな、死ぬ前に、奥山のなら梨が食べたいものだ」といいました。奥山のなら梨というのは、昔からとてもおいしいだけでなく、元気がでることで知られていました。でも、いつのころからか魔物が住みついて……。
 
2012年  世界に知られた最上徳内
江戸時代中・後期に、農民の出でありながら武士となり、江戸幕府の探検家となって活躍した最上徳内(もがみ とくない)が、1836年に亡くなった日です。1754年、出羽国(現在の山形県村山市)の貧しい農家に生れた徳内は、幼いころから算術や測量が好きで、学問を志し、家を弟たちに任せて、たばこの行商をするなど各地をめぐりました。青森で蝦夷地(北海道)の話を聞くうち興味をおぼえ、地元の漁師にたのんで蝦夷地へ渡ったといわれています……。

2011年  社会学の祖・コント
フランスの社会学者、哲学者で、「社会学」を提唱したコントが、1857年に亡くなった日です。1798年、南フランスのモンペリエに生まれたオーギュスト・コントは、幼い頃からすばらしい能力を発揮し、ラテン語と数学は特に優れていたといわれています。理工科大学に進学したコントでしたが、大学騒動の首謀者とみなされて退学。19歳のとき、社会主義思想家サン・シモンの弟子になって、その思想から大きな影響を受けました……。

2008年  板画の世界的巨匠・棟方志功
仏教を題材に生命力あふれる独自の板画の作風を確立し、いくつもの世界的な賞を受賞した版画家棟方志功(むなかた しこう)が、1903年に生まれた日です。棟方志功は、1903年青森市に生まれました。青森には、東北三大祭りのひとつであるねぶたがあります。赤や青、黄など原色でえがいた勇壮な武者人形のなかに明かりを入れて、町じゅうをひっぱりまわす豪快な夏の祭りです。また、冬になると空にうなりをひびかせて大きなたこがあがります……。

2007年  ラファエロ 「アテネの学堂」
この絵はローマの 「バチカン美術館」 にあります。600年以上の歳月をかけ、質、量ともに世界最大の美術品に埋めつくされ、24の美術館とミケランジェロの天井画で名高いシスチナの礼拝堂からなる美術館の総称が 「バチカン美術館」 です。部屋の数1400、美術館というより 「バチカン宮殿」 といったほうがふさわしいかもしれません。「アテネの学堂」 は、この宮殿の3つの大きな部屋のひとつ 「署名の間」 という、法王が公式の署名や捺印する重要な部屋の壁面に、横幅だけで7m70cmの堂々たるフレスコ画で描かれています……。

2006年 「福沢諭吉」 のこども時代
諭吉が12、3歳のころのことです。ある日、近くのお稲荷さんに行った諭吉は、こっそり御神体の入った箱をあけました。その箱に入っていたのはただの木の札でした。諭吉は札を取り出して、かわりに道ばたから拾ってきた石を入れました。やがていく日かして、このお稲荷さんのお祭がはじまり、町の人たちはお稲荷さんにおみきを上げておがみました。これを見て、ひとりでおもしろがったのは諭吉です。「バカめ、おれの入れておいた石におみきを上げておがんでいる」──諭吉は、神様のばちがあたるかどうか、ためしてみたかったのです……。
投稿日:2017年09月05日(火) 05:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)