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2017年版 5月19日はこんな日


● 今日(5月19日)の主なできごと

1560年 桶狭間の戦い……東海地方を支配していた今川義元は、天下を取ろうと京都へのぼる途中、織田信長の領地尾張国に入った。知らせを聞いた信長は、2千人の軍勢を率いると暴風雨の中、桶狭間(今の愛知県豊明市)の田楽狭間で休憩していた2万5千の今川軍を奇襲、今川義元を討ち取った。この戦いに敗れた今川氏は、いっきに没落。勝利した信長は、この戦いをきっかけに天下統一をめざすことになった。

1960年 新安保条約単独可決……衆議院安保特別委員会で、岸信介首相率いる自民党は質疑打ち切りを強行。条約採決のための衆議院本会議開会を、社会党が坐込みで阻止を図るものの議長が警官隊500人を導入して排除し、この日の深夜、新安保条約は、自民党反支流派議員も欠席する中、自民党の単独強行採決により可決され、参議院に送られた。条約は、参議院の決議がなくとも、1か月後に自然成立するため、翌朝の新聞全紙は、「暴挙、議会制民主主義の危機」と問題化し、総評は岸内閣を「ファッショ」と断定、全学連や学生、一般市民までいっしょになって、未曾有のデモ隊が国会議事堂を取り囲み、戦場さながらにした安保騒動が1か月にわたって続いた。

1983年 『楢山節考』カンヌ映画祭グランプリ……この日、今村昌平監督の『楢山節考』(深沢七郎の同名小説原作)が第36回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(グランプリ)を受賞。日本にふるくから伝わる「うば捨て」の風習を描いた人間ドラマで、その巧みな心理描写が評価された。


● 今日の主な記念日・恒例日

ボクシングの日……1952年のこの日、白井義男が世界フライ級チャンピオンのダド・マリノ(アメリカ)に判定勝ちし、日本初のボクシングチャンピオンになったことから、日本プロボクシング協会が制定。


● 今日生まれた人

1762年 フィヒテ……ドイツの哲学者。ナポレオン占領下の講演『ドイツ国民へ告ぐ』が有名。

1860年 三宅雪嶺……明治・大正・昭和期の評論家・哲学者。

1870年 西田幾多郎……明治・大正・昭和期の哲学者。代表作『善の研究』など。哲学体系は「西田哲学」と呼ばれた。京都学派を創始。

1877年 薄田泣菫……明治・大正期の詩人・随筆家。代表作『暮笛集』『白羊宮』など。

1892年 ホー・チ・ミン……北ベトナムの政治家・革命家。初代ベトナム民主共和国主席。


● 今日亡くなった人

1560年 今川義元……戦国時代の東海地方を支配する大名。桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られる。

1599年 長宗我部元親……戦国時代から安土桃山時代にかけての土佐国戦国大名。

1645年 宮本武蔵……江戸時代初期の剣豪・書家。

1725年 新井白石……江戸時代中期の儒学者。徳川6代将軍家宣に仕え、優れた文治政治を行なう。代表作『折焚く柴の記』『西洋紀聞』 など。

1825年 サン・シモン……フランスの社会思想家・経済学者。

1935年 ロレンス……イギリス軍人・考古学者。オスマントルコ帝国に対するアラブ反乱を支援。

1968年 大谷米太郎……大正・昭和期の実業家。大谷重工業・ホテルニューオータニ創業。

1974年 南原繁……大正・昭和期の政治学者・評論家。

2004年 金田一春彦……昭和・平成期の言語学者。金田一京助の長男。


● 過去のマイブログ「5月19日」のテーマ

2015年  アラビアのロレンス
オスマントルコ帝国に対するアラブ反乱を支援したことで知られる、イギリス軍人・考古学者のロレンスが、1935年に亡くなった日です。1888年、北ウェールズのトレマドクに生まれたトマス・エドワード・ロレンスは、オックスフォード大学で考古学を学ぶうち中近東に関心を持ち、在学中の1909年にレバノンを訪れて1600キロもの距離を徒歩で移動しながら、十字軍の遺跡調査をしました……。

2014年 「桶狭間の戦い」と今川義元
戦国時代に駿河国・遠江国(静岡県)から三河・尾張(愛知県)にまで拡大支配するものの、織田信長に敗れた戦国大名の今川義元(いまがわ よしもと)が、1560年に戦死した日です。1519年、駿河・遠江国を支配していた今川氏親の3男として生まれた義元は、4歳で仏門に出されて臨済宗の寺に預けられましたが、1536年、兄たちの死により家督を継ぎました……。

2011年 『善の研究』の西田幾多郎
明治から昭和前期に活躍した日本を代表する哲学者・西田幾多郎(にしだ きたろう)が、1870年に生まれた日です。現在の石川県かほく市に、代々つづく庄屋の家の長男として生まれた西田は、教師をめざし師範学校に入りました。しかし病気のために退学せざるをえませんでした。さらに、師弟愛にあふれていた金沢の第四高等学校に入学しましたが規則づくめの校則に変わったことに抵抗して退学……。

2010年 「正徳の治」の新井白石
徳川幕府6代将軍家宣(いえのぶ)に仕え、優れた文治政治を行なった儒学者の新井白石が、1725年に亡くなった日です。悪名高き「生類憐れみの令」を出し、犬公方というあだ名のついた5代将軍綱吉は1706年に64歳で亡くなりました。子宝に恵まれなかったため、綱吉の兄の子である綱豊が家宣と改名し、48歳で6代将軍となりました。この綱豊が甲府藩主だった30歳の頃から、家庭教師的な役割をしたのが新井白石でした……。

2009年  武芸の達人・宮本武蔵
江戸時代初期の剣豪で、書画でも優れた作品を残した宮本武蔵が、1645年に亡くなった日です。宮本武蔵は、江戸時代初めのころの剣豪です。生まれは美作国(岡山県)とも、播磨国(兵庫県)ともいわれています。父、新免無二斎は、田舎で道場を開く武芸者でした。のちに郷里宮本村の名をとって宮本と名のるようになった武蔵は、幼いときから父に剣を習い、早くも12歳のときには新当流の有馬喜兵衛と試合をして打ち負かすほどの腕になりました……。

2008年 「桶狭間の戦い」と織田信長
1560年のこの日、織田信長が、尾張の国桶狭間 (おけはざま・現在の豊明市) で、わずか2千人ほどの兵力で2万5千の軍を率いる今川義元軍を打ち破って、いちやく戦国大名の中でも、一目をおかれる存在になった日です。織田家は、信長の父のころ、ようやく尾張の国の半分をじぶんのものにしただけの弱小大名にすぎませんでした。北の美濃には斉藤道三、東の三河には松平広忠(徳川家康の父)、さらに今川義元、その北には甲斐の武田信虎(信玄の父) という力のある武将が……。
投稿日:2017年05月19日(金) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)