「ジャーナリストの手本」 リップマン
今日12月14日は、アメリカのジャーナリスト・コラムニストで、半世紀にわたり最も影響力ある政治評論家といわれたリップマンが、1974年に亡くなった日です。
1889年、ドイツからのユダヤ系移民の3世としてニーヨーク市に生まれウォルター・リップマンは、1906年にハーバード大学に入学、哲学を専攻して3年間で全単位を修得、最後の1年は同大学教授で哲学者のサンタヤーナの助手をつとめ、1910年に最優等賞で卒業する逸材でした。
卒業後は、著名なジャーナリストのステファンズの招きにこたえ『エブリバディーズマガジン』の編集に携わり、1913年には処女作となる『政治学序論』を刊行しました。この書は好評で、セオドア・ルーズベルト大統領率いる進歩党の「教科書」といわれました。1914年リベラルな政治雑誌『ニュー・リパブリック』の創刊に携わり、同誌で健筆をふるいます。
やがて、第1次世界大戦後半に参戦したウィルソン大統領のアドバイザーとなり、情報将校として渡仏し、対ドイツ軍に対する宣伝ビラの作成をしたり、「十四か条の平和原則」の原案作成に関わりました。しかし、大戦が民主主義を守る闘いと信じていたものの、殺戮のすさまじさと、ベルサイユ条約への幻滅は深いものがありました。
1921年「ニューヨーク・ワールド」紙に入って論説委員となり、洞察に優れた明晰な論説により、その名をあげました。そして翌1922年に代表作となる『世論』を刊行しました。リップマンはこの本のなかで、民主主義の基盤である世論がいかに操作しやすいものかを説き、世論に影響力を持つジャーナリストの使命を再認識する書として高く評価され、現代マスコミ研究の古典といわれています。
1929年に「ワールド」紙の主筆となるものの、同紙が経営難で廃刊となると、1931年から1967年まで『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙の特別寄稿家となって、「今日と明日」と題するコラムを担当しました。このコラムは、全米のたくさんの新聞に特約掲載され、1930年代末には189紙が掲載するほどで、リップマンはアメリカで最も影響力のある政治評論家として、1958年にはピュリッツァー賞の特別表彰、1962年に同賞の国際報道部門で受賞しています。
1963年からは「ワシントン・ポスト」紙や「ニューズウィーク」誌の特別寄稿家としても活躍するなど、半世紀にもわたるリップマンの主張は、豊富な情報源、鋭い分析、自由闊達な筆運びで政治に関心のある全米の読者を引きつけ続けました。国内的には、連邦政府の拡大を危惧する保守的リベラル、対外的には冷戦外交を支持しながらも、力のおごりを警告する現実主義者でした。
1947年には『冷戦・アメリカ外交政策の一研究』を発表し、以後この言葉が東西関係を表す国際政治の流行語となり、晩年はベトナム戦争を厳しく糾弾しています。政治、外交、社会問題に関する幅広い著作のなかでも、上記以外に、『公共の哲学』『国際政治とアメリカ』『共産主義世界とわれらの世界』などの著作を残しています。
「12月14日にあった主なできごと」
1799年 ワシントン死去…イギリスからの独立戦争で総司令官として活躍し、アメリカ合衆国初代大統領となったワシントンが亡くなりました。
2003年 フセイン大統領の身柄確保…アメリカ軍は、対イラク戦争で民家に隠れていたイラクの元大統領サダム・フセインの身柄を確保しました。裁判の結果死刑が確定し、3年後の12月30日に亡くなりました。
投稿日:2015年12月14日(月) 05:49