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最新記事【2015年10月14日】

今日10月14日は、ペルーのリマに、自ら収集した古代アンデス文明遺物をもとにした「天野博物館」を、私財を投じて開設した実業家の天野芳太郎(あまの よしたろう)が、1982年に亡くなった日です。

1898年、今の秋田県男鹿市に生まれた天野芳太郎は、地元の高等小学校に在学中、父の仕事の都合で函館に渡ったとき、函館の遺跡から4千年も前の石器を発見したことで、考古学に関心をいだきました。その後、1916年に秋田工業学校を卒業後に上京し、横浜市の浅野造船所に就職して造船技師として腕を磨きました。やがて、1920年に神奈川鋳物工場を設立してポンプや小型エンジンを製造・販売したり、関東大震災で罹災すると、これをチャンスと見て、横浜市関内や鶴見の遊園地「花月園」にまんじゅう屋を出店するなど、実業家としての道を歩みはじめました。

まとまった資金を手にした天野は、夢見ていた海外での事業を志し、1928年4月、横浜港から一路ウルグアイのモンテビデオをめざし、大阪商船の博多丸に乗りこみます。途中、香港、シンガポール、ケープタウンに寄港しながら雑貨品を仕入れては売りさばくという商売を続けました。同年7月モンテビデオに到着するものの父の訃報が届いて急ぎ帰国、同年12月年末には再び横浜を出航し、ハワイ、ロサンゼルス、メキシコを経て、パナマに着きました。この地で「カーサ・ハポネサ(天野商会)」を開業して成功をおさめると、パナマを拠点にとした事業は他国に拡大、チリで農場経営、コスタリカでマグロ漁業、ボリビアで森林開発、エクアドルで製薬業、ペルーで金融業を営むなど、幅広い分野で事業を展開していきました。

いっぽう、シュリーマンの伝記に刺激され、ペルーにあるマチュピチュ遺跡を日本人として初めて訪れたことがきっかけになって、少年時代の考古学への情熱が再燃しました。ところが、1941年12月、日本とアメリカが開戦すると同時に、アメリカ官憲に逮捕され、バルボア収容所に収容されてしまいました。パナマ運河を租借するアメリカはここを軍事的・経済的要衝とみて、パナマに在住する日本人はほとんどがスパイ疑惑をかけられたのでした。天野は資産のほとんどを没収され、アメリカ・オクラホマ州の収容所、ルイジアナ州の収容所を経て1942年6月にニューヨークに移送され、日本とアメリカの残留者を互いに交換する交換船に乗せられ帰国したのでした。

敗戦後の1951年、天野はペルーに渡航すると、日本に強制送還される前に知人に託した資産を元手に、漁網、魚粉を扱う漁業会社「インカ・フィッシング」を設立して、念願の事業を再開しました。事業を軌道に乗せると、1953年には首都リマ北方のチャンカイ文化遺跡の調査・発掘を中心に古代アンデス文化の研究に熱中、代表的な遺物を収集し、自宅に私設博物館を開きました。さらに10年後の1964年には、リマ市ミラフロレスに「天野博物館」を開設しました。同館は、古代アンデスの生活文化のさまざまな姿を、独自の個性的な解釈に基づいて、土器、染織作品その他多様な10万点もの遺物によって再現したもので、世界的に高い評価を受けています。

なお天野は、1958年には、第1次東大アンデス地帯学術調査団の案内役を務めるなど、日本のアンデス・インカ文明研究に大きな貢献をし、1959年にはペルー文化功労勲章を受章しています。


「10月14日にあった主なできごと」

1867年 大政奉還…江戸幕府の第15代将軍徳川慶喜は明治天皇に、統治権を返上することを申し出ました。

1872年 日本初の鉄道開通…東京・新橋と横浜間の29kmに、わが国初の鉄道が開通しました。この日を記念して国鉄(今のJR)は、1922年から「鉄道記念日」として制定しました。1992年、運輸省(今の国土交通省)は「鉄道の日」と改め、私鉄も含め、全国各地で鉄道に関する行事を行っています。
投稿日:2015年10月14日(水) 05:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)