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最新記事【2015年01月22日】

今日1月22日は、『大日本地名辞書』の著者・編纂者、近代能楽研究家として知られる歴史・地理学者の吉田東伍(よしだ とうご)が、1918年に亡くなった日です。

1864年、今の新潟県阿賀野市に農家の子として生まれた吉田東伍は、11歳の時に新潟英語学校を中退してからは学校教育を受けませんでした。1883年に小学校の代用教員になり、1887年には小学校正教員の検定に合格して地元水原小学校訓導となり、このころから歴史学を中心に、地理・天文・考古・人類学の研究を開始しました。

1890年、単身で北海道へ渡り、そこから『史学雑誌』に寄稿した「古代半島興廃概考」が学者の注意を引きはじめ、落後生というペンネームで次々と史論を発表し注目されるようになります。とくに『史海』へ投書した論文は主筆田口卯吉の注目をひき、学界への登竜門となりました。

1892年読売新聞社に招かれて入社すると、『徳川政教考』を同紙に連載しながら、2年ほどで膨大な『日韓古史断』を書き上げ、『徳川政教考』を出版して、歴史家としての地位を固めました。1895年、日清戦争に記者として従軍したころから日本の地名の変遷を記した研究がないことに気づくと、多くの苦難を乗り越えて13年後の1907年に『大日本地名辞書』11冊を完成させました。原稿の厚さ5mに及ぶ質量とも空前の大地誌で、今日でもこれを越えるものはないと評価されています。

歴史・地理学のほか「日本音楽史」の研究にも深くかかわり、とくに能楽研究において、『申楽談儀』を校訂したことで、これが世阿弥伝書の発見につながるきっかけとなりました。その後、吉田が『花伝書』と命名した『風姿花伝』をはじめ,当時発見された世阿弥の著書16部を収めた『世阿弥十六部集』を校注して、これまでの観阿弥・世阿弥像を一新させ、近代能楽研究の出発点となりました。

1889年からは、東京専門学校(今の早稲田大学)史学科講師となり、以後、国史、日本地誌、明治史、日本地理を担当、やがて早稲田大学教授となり理事を兼務しましたが、学内の抗争にまきこまれ、疲労のために亡くなりました。

著書には上記のほかに、『庄園制度之大要』『維新史八講』『倒叙日本史』『宴曲全集』などがあります。


「1月22日はこんな日」

1793年 大塩平八郎誕生…江戸時代後期の儒学者で大坂町奉行所の与力を勤めるも、窮民救済を叫んで反乱(大塩平八郎の乱)をおこして失敗した大塩平八郎が生まれました。

1893年 河竹黙阿弥死去…幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥が亡くなりました。

1905年 血の日曜日事件…ロシアの首都ペテルブルクで、労働者10数万人が皇帝へ請願のデモ行進をしていたところ、軍隊が突然発砲し3千人余りの人たちが死傷しました。当時は、日露戦争のさなかで、年初に旅順が陥落するなど、人々の生活の苦しさはピークに達していました。この事件をきっかけに、各地にソビエトが生まれたことで「ロシア第1革命」ともよばれています。
投稿日:2015年01月22日(木) 05:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)