« 2014年12月15日 | 児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top2014年12月17日 »

最新記事【2014年12月16日】

今日12月16日は、豪雪地帯の貧困から志をたてて内閣総理大臣となり、『日本列島改造論』を発表して経済発展に取り組み、日中国交回復をはたすものの、その金権政治が批判された政治家の田中角栄(たなか かくえい)が、1993年に亡くなった日です。

1918年、今の新潟県柏崎市に隣接する西山町に貧しい農家の子として生まれた田中角栄は、1933年地元の高等小学校を卒業しました。その後柏崎の県土木派遣所に勤め、1934年に上京して住みこみで働きながら、夜間の専門学校中央工学校土木科に通い、1936年に同校を卒業して建築事務所に勤務しました。1938年、陸軍騎兵への入隊が通知され、満州国で兵役について1年後に騎兵上等兵となるものの肺炎を発症、内地に送還され1941年に除隊しました。まもなく、飯田橋に田中建築事務所を開設、1943年25歳で事務所を改組して「田中土建工業」を設立すると、急成長をとげ、1年後には、年間施工実績で全国50位入りするまでになっています。

戦争により、多くのものを失った田中は、1947年4月、日本国憲法による最初の衆議院総選挙に新潟3区から立候補して当選を果たし、政治の舞台に立ちました。吉田茂、池田隼人らに近づいて少しずつ自民党政権の中で力をつけると、1957年第1次岸信介内閣の郵政大臣になったのを皮切りに、大蔵大臣、通産大臣、党幹事長などをつとめ、自民党の実力者になっていきました。

1972年に、7年8か月の長期政権をになった佐藤栄作内閣が退陣し、自民党の総裁となった田中は、国会での首相指名を得て首相になりました。農村の出身、学歴もなく、歴代総裁の中でも最年少の54歳だったことから「庶民派総裁」「今太閤」の評判をとりました。また、経済の高度成長を主張して『日本列島改造論』を発表すると、同年9月には中国を訪れ、日中共同声明により日中国交回復をはたすなど、積極的な政策を次々に実行しました。

ところが1974年に、田中の政治資金と個人資産にかかわる金脈問題で、政敵の福田赳夫や三木武夫らにつかれて総辞職に追い込まれたばかりか、1976年には、航空機の買入れの際、ロッキード社から賄賂を受け取ったとして逮捕され、有罪判決を受けました(ロッキード事件)。こうして、カネの力を信じ、派閥を養い、党内支配権を築く「金権政治」が厳しく糾弾されたのでした。

それでも政界に強い影響を与え続け、田中派の拡大に腐心し、「数」の力で歴代首相の選出に関与して「(目白)の闇将軍」といわれました。強引ともいえる政治力で裁判に対抗し、復権しようという思惑もあったものの、1985年に脳梗塞で倒れ、1989年に政界を引退、4年後に75歳で亡くなりました。


「12月16日にあった主なできごと」

1773年 ボストン茶会事件…この日の夜、高い関税に苦しむインディアンに変装したボストン市民が、港内に停泊中のイギリス東インド会社の船に侵入。342箱の茶を海に投げ捨てました。この事件がキッカケとなって、イギリス本国と植民地の関係が急速に悪化、1年4か月後にアメリカ独立戦争が勃発しました。
 
1859年 グリム弟死去…兄弟で力をあわせ、ドイツに伝わる民話を集大成したグリム兄弟の弟ウィルヘルムが亡くなりました。

1864年 奇兵隊の挙兵…11月の第1回長州征伐に敗れた長州藩でしたが、高杉晋作の率いる足軽・百姓・町人の有志で組織された「奇兵隊」がこの日挙兵して、藩の主導権を握りました。
投稿日:2014年12月16日(火) 05:14

2014年12月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)