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最新記事【2014年09月25日】

今日9月25日は、ヘミングウェイと並び「20世紀アメリカ文学の巨匠」と称されるフォークナーが、1897年に生まれた日です。

アメリカ南部ミシシッピ州のニューオールズバニーに、曽祖父が開業した地方鉄道の駅長の長男として生まれたウィリアム・フォークナーは、5歳のとき一家が同州の郡都オックスフォードに移り住み、以後生涯のほとんどをこの地で過ごしました。幼いころから、身内の人たちのおしゃべりを聞くのが好きで、とくに弁護士だった曽祖父が、南北戦争の際に義勇軍の隊長として出征し、戦後は議員になったり、小説や紀行を書いてベストセラーを連発するなど傑出した大物だった話を聞くのは大好きでした。

10歳の頃から詩作をはじめたものの、学校での勉強には興味が持てずに高校を1年で中退、第1次世界大戦末期にはカナダのイギリス空軍に入隊するものの休戦をむかえ、郷里にもどって特別学生としてミシシッピー大学に入学しました。しかし、ここも中退しますが、フィル・ストーンという4歳年上の法学生との交友により文学への関心が深まって、豊かな文学的教養を身につけることができたのは幸いでした。

1921年にミシシッピの郵便長となるものの、3年で離職して文筆活動に専念する決意を固め、1924年にストーンの尽力で第一詩集『大理石の牧神』を出版します。また、ストーンの勧めでヨーロッパ旅行を思い立ち、その準備のために滞在したニューオーリンズで、シャーウッド・アンダーソンと親しくなりました。そのつてで、この地の雑誌や新聞に作品を発表するいっぽう長編小説に着手し、1926年に帰還兵士の悲劇『兵士の報酬』を、翌27年に風刺的な長編『蚊』を刊行しました。

さらに、故郷をモデルにした架空の町を舞台に、南北戦争前の南部の華やかな時代に執着しながら、没落する南部人の人間模様と、アメリカ文明の暗黒面を描いた連作を発表するようになり、29年に『サートリス』を刊行、同年に代表作となる『響きと怒り』を完成させました。書き方にもさまざまな工夫をこらし、現代と過去を交錯させたり内的独白など、これまでにない手法に、読者はとまどったのでしょう。作品はあまり売れず、発表当時、ごく一部の批評家から賞賛を受けただけでした。

以後中短編とともに、『死の床に横たわって』(1930年)、『聖域』(1931年)、『八月の光』(1932年)、『アブサロム、アブサロム!』(1936年)など、のちに傑作といわれる作品群を発表していくものの評価は相変わらずで、生活のためにハリウッド映画の脚本書きにたずさわるほどでした。

転機となったはマルカム・カウリーによって1946年に編まれた『フォークナー選』でした。この本によっていちやく注目されると、絶版になっていた著書が次々に復刊され、1949年にノーベル文学賞を受賞、1955年には日本を訪れ、井上光晴、大江健三郎、中上健次らに大きな影響を与えました。1962年に亡くなるまで精力的に作品を書き続け、最後の作品『自動車泥棒』は、没後の1969年に『華麗なる週末』として映画化されています。


「9月25日にあった主なできごと」

1829年 シーボルト国外追放…1年ほど前に、幕府禁制品とされていた日本地図などを国外に持ち出そうとしたこと(シーボルト事件)で、捕えられていたシーボルトが、国外追放・再渡航禁止処分となりました。

1936年 魯迅死去…20世紀初頭の旧中国のありかた・みにくさを鋭く批判した『狂人日記』『阿Q正伝』を著した魯迅が亡くなりました。
投稿日:2014年09月25日(木) 09:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)