『おしゃべりなたまごやき』 の長新太
今日9月24日は、絵本作家・漫画家・エッセイストとしてユニークな作品を数多く発表し、「ナンセンスの神様」の異名を持った長新太(ちょう しんた)が、1927年に生まれた日です。
東京羽田に生まれた長新太(本名・鈴木しゅう治)は、蒲田に育ち、東京市立蒲田工業(今の都立一橋高)を卒業後に、空襲被害を受け、横浜市に移り住みました。戦後は、映画が好きだったことで映画館の看板かきの仕事をしていました。1948年、東京日日新聞の漫画コンクールに応募した「ロングスカート」が一等入選を機に同新聞社に入社すると、まもなく「長新太」のペンネームで、同紙に4コマ漫画『ロング狂』を連載するようになりました。
1955年に退社すると、本格的に作家活動を始め、1958年『がんばれさるのさらんくん』で絵本作家としてデビューをはたすと、1959年に発表した卵焼きの大好きな王様のユーモラスな作品『おしゃべりなたまごやき』(文・寺村輝夫)は、鮮やかな色彩を駆使した絵で、文芸春秋漫画賞を受けました。この作品は1974年に国際アンデルセン賞優良作品となったばかりか、続編として『ぞうのたまごのたまごやき』(小学館絵画賞) があります。
そのほか、文も絵も担当した『はるですよふくろうおばさん』で講談社出版文化賞絵本賞、『ぼくのくれよん』で厚生省児童福祉文化奨励賞、『キャベツくん』で絵本にっぽん大賞、『ゴムあたまポンたろう』で日本絵本賞を受賞するなど、他に類を見ないユニークな発想と画風で「長新太の世界」をつくりあげ、主だった賞を総なめにしています。
エッセーにも優れ、『海のビー玉』『キャベツだより』『長新太のチチンプイプイ旅行』『ユーモアの発見』など、この分野でもユニークな「長新太の世界」を大いに発揮しています。
2005年6月に亡くなりますが、この年に刊行した 『ないた』(作・中川ひろたか)も日本絵本賞大賞を受賞しています。
「9月24日にあった主なできごと」
1744年 石田梅岩死去…正直、倹約、堪忍という徳目をわかりやすく示し、町人の道を教える「心学」をはじめて説いた江戸時代中期の学者石田梅岩が亡くなりました。
1877年 西郷隆盛自刃…木戸孝允と大久保利通とともに倒幕・維新に尽力し「維新の三傑」の一人とうたわれた西郷隆盛は、士族(もと武士)たちの不満を解消させるために征韓論を主張しましたが、木戸、大久保らに反対されたため、明治政府の要職をすてて郷里鹿児島へかえりました。私塾を開いているうち、やがて下級士族たちにかつがれて8か月にわたる「西南戦争」をおこしました。西郷軍は政府軍と奮闘しましたが、最新式武装をした政府軍の力に及ばす、最期をさとった西郷は、たてこもった城山で腹心に介錯を頼み自刃しました。
1965年 みどりの窓口開設…国鉄(いまのJR)は、コンピューターを使った指定券発売の窓口「みどりの窓口」を全国152の主要駅と日本交通公社の83営業所に設置しました。これにより、長い時間待たされたり、ダブルブッキングがほとんど解消されました。
投稿日:2014年09月24日(水) 05:47