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最新記事【2017年04月06日】


● 今日(4月6日)の主なできごと

1882年 板垣退助が暴漢に襲われる……自由党総理の板垣退助が、遊説先の岐阜県で斬りつけられ負傷。このとき言ったという「板垣死すとも自由は死せず」は、当時盛り上がった自由民権運動の合言葉となる。

1896年 第1回オリンピック開催……古代ギリシアで4年に1度開催されたスポーツ競技を復活させようと、フランスのクーベルタンによる提唱で国際オリンピック委員会(IOC)が1894年につくられ、この日ギリシアのアテネで近代オリンピック第1回大会が開かれた。参加国14か国、競技種目43種目、選手数240人と、小規模なものだった。

1919年 非暴力・非服従運動……インド独立運動の指導者ガンジーは、支配国イギリスに対する非暴力・非服従運動を開始した。この日、反英運動への取り締まる法律が施行された。これに対し、断食をして抗議したのをはじめ、イギリス製品の綿製品をボイコットして、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを、自ら糸車をまわして呼びかけるなど、不買運動を行った。


● 今日の主な記念日・恒例日

城の日……四(し)六(ろ)の語呂合せから、兵庫県姫路市が1991年、日本三大名城の一つ姫路城を中心とした市の復興のために制定。姫路城は、1333年に赤松則村によって築かれたのち、西国統治の重要拠点として羽柴秀吉・池田輝政・本多忠政らが城を拡張し、現在の形になったのは1619年。五層六階の大天守と三つの小天守とがあり、その形から「白鷺城」とも呼ばれる。1912年に国宝、1993年に世界文化遺産に指定された。

新聞をヨム日……四(よ)六(む)の語呂合せから、日本新聞協会販売委員会が2003年に制定。


● 今日生まれた人

1826年 モロー……フランスの画家。代表作『オイディプスとスフィンクス』『オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘』『サロメ』など。

1915年 亀倉雄策……昭和期のグラフィックデザイナー。1964年東京オリンピックのポスターなど。

1929年 小沢昭一……昭和・平成期の俳優・芸能研究家。


● 今日亡くなった人

1520年 ラファエロ……イタリアのルネサンス期を代表する絵画、建築はじめ総合芸術の天才。

1528年 デューラー……ドイツの画家・美術理論家。代表作『自画像』『野うさぎ』『メランコリア』など。

1823年 大田南畝……江戸時代中後期の幕臣・狂歌師。

1971年 ストラヴィンスキー……ロシアの作曲家。代表作『火の鳥』など。

1977年 木戸幸一……昭和期の政治家。昭和天皇の側近の一人。東京裁判で終身刑となるも仮釈放。

1984年 長谷川一夫……昭和期の俳優。阪東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇6大スター」のひとり。

2008年 川内康範……昭和・平成期の作詞家・脚本家。代表作『誰よりも君を愛す』『君こそわが命』『おふくろさん』(作詞)、『月光仮面』シリーズ(脚本)など。


● 過去のマイブログ「4月6日」のテーマ

2015年 「狂歌のリーダー」 大田南畝
江戸時代中・後期の幕臣で、狂歌師・文人として活躍した大田南畝(おおた なんぽ)が、1823年に亡くなった日です。1749年、江戸牛込(今の新宿中町)に御徒(おかち=将軍の行列に徒歩で従う)という下級武士の貧しい家に生まれた大田直次郎(号=南畝・四方赤良・蜀山人・寝惚先生)は、幼少のころから学問や文筆に秀れ、15歳で江戸六歌仙の1人だった内山椿軒に入門し、国学、漢学などを学びました……。

2012年 「おもしろ古典落語」66回目 『花筏(はないかだ)』
「これは親方、ようこそおいで下さいました。ところで、患ってるとおっしゃっていた大関・花筏の具合はいががですか?」「実はそのことなんじゃ。医者から『動かしちゃ、いかん』といわれて困っておる。ところで、提灯の手間賃はどのくらいなんじゃ」「わずかなもんで。どう精を出しても、一日一分(一両の1/4)ですよ」「そうか…、どうじゃ、日に一両の手間を出すから、いっしょに来てくれないか」「4倍の手間ですか、じゃ、特別あつらいの大提灯でも……。

2011年 「おもしろ古典落語」18回目 『しわい屋(や)』
「しわい屋」というのは、ケチ、しみったれのことで、けちん坊、赤にしや、吝嗇(りんしょく)、ガリガリ亡者……等など、いろいろな悪口がありますが、「6日知らず」というのがあります。どうして6日知らずなのかといいますと、日を数えるとき、指を1日、2日、3日、4日、5日と数えて握ったら、6日…と、いったん握ったものを、はなすのはいやだ、だから「6日知らず」だそうで、何とも世の中にはケチな人がいるもんです……。

2010年 『紅白梅図屏風』 の尾形光琳
江戸時代の中期、町人文化が栄えた元禄期を代表する画家の尾形光琳(こうりん)が、1716年に亡くなった日(6月2日説もあり)です。光琳は、1658年京都の高級呉服屋として知られる雁金屋の次男に生まれました。当時、家はたいへんな金持ちでしたから、光琳はなに不自由なく育てられました。父は趣味のゆたかな人で、光琳はその感化をうけて、はやくから能を舞い、絵を学びました。しかし、最初から画家になる気はなく、本格的に絵の勉強をはじめたのは、20歳をすぎてからでした……。

2009年  聖母の画家ラファエロ
ルネサンス期を代表する絵画、建築はじめ総合芸術の天才といわれるラファエロが、1520年に亡くなった日です。ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロといえば、16世紀イタリアのルネサンス時代に、芸術の腕をきそった巨匠たちです。いまにのこる作品から、それぞれの個性のちがいをみることができます。ラファエロの絵には、心やさしい清らかな性格がうかがわれます……。

2007年  新聞は老人の暇つぶしか
13年ほど前、200万部を超える大ベストセラーとなった永六輔著「大往生」(岩波新書)に目を通した方は多いことでしょう。この本はご存知の通り、永六輔氏の著となっていますが、大半は無名人語録集というべきもので、老人たちのつぶやきを集めたものといってよさそうです。じつに的確にホンネを収録しているので、ときどき本棚から引っ張りだしてきては、面白がって読んでいます……。

2006年 「走れメロス」とほんとうの友情
太宰治の小説のなかで、少年少女たちに、もっとも愛読されている作品に 「走れメロス」 という短編があります。メロスは、牧場ではたらく若者です。ある日メロスは、ちかく結婚する妹の衣裳や祝宴のごちそうを買いに、はるばる王のすむ町へやってきます。すると、町のようすがへんです。町じゅうひっそりして、人びとは暗い顔をしています。道行く人に聞くと王は、人を信じることができなくなり、人の心を疑っては、身内のものやけらいを、つぎつぎ殺してしまうという……。
投稿日:2017年04月06日(木) 05:21

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)