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最新記事【2015年05月20日】

今日5月20日は、室町幕府8代将軍足利義政の正室で、「応仁の乱」の原因を作った日野富子(ひの とみこ)が、1496年に亡くなった日です。

1440年、山城国(京都府)に朝廷に仕える公家日野家の当主政光の子として生まれた富子は、1455年16歳で室町幕府8代将軍足利義政の正室となりました。日野家が将軍家と深く結びついたのは、日野業子(のりこ)が3代将軍義満の正室となって以来で、朝廷内に絶大な権勢をふるっていました。

1459年、富子は男子を生むもののその日のうちに亡くなってしまいました。これは義政の乳母の呪いのせいだとし、琵琶湖沖島に流罪(途中で自刃)した上、義政の側室4人も追放しました。その後富子は、女子を2人生むものの男子がなかったため、1464年に義政は、実弟で仏門に入っていた足利義視を将軍の後継者に決め、有力守護大名細川勝元を後見にしました。ところが翌1465年、富子は義尚(よしひさ)を出産します。

富子は、溺愛する義尚を将軍の後継者にしたいと、もうひとりの有力守護大名山名宗全を後見に立て、義視を推す細川勝元と対立しました。この対立と、斯波氏、畠山氏の家督相続問題などが複雑にからみあって「応仁の乱」が勃発しました。細川勝元(東軍)、山名宗全(西軍)に分かれたこの内乱は、勝負を決っすることなく長期化し、1473年に宗全と勝元が相次いで亡くなると、義尚が元服して9代将軍につきました。

政治への興味を失った義政は隠居し、東山に山荘を構え、銀閣を作って風流な生活を送るいっぽう、富子は、東西両軍の大名に多額の金銭を貸し付けたり、京都の入り口7か所に関所を設けて税収をはかり、米の投機を行うなどして巨額の富を得ました。そのため多くの人たちの反感を買いましたが、その財力を武器に実質的な幕府の指導者となっていきます。

1477年、ようやく西軍が引き上げたことで戦乱は終わり、1489年に義尚が25歳の若さで亡くなると、義視と自分の妹の間に生まれた足利義稙(よしたね)を将軍に擁立し、1490年義政が没すると、義稙を10代将軍につかせました。しかし後見人となった義視とともに義稙が富子に敵対しだすと、富子は義稙を廃し、義政の甥の子足利義澄を11代将軍につけるなど、亡くなるまで権勢を持ち続けました。

なお、これまでの富子は「悪妻の代表」のようにいわれてきましたが、最近では、富子の時代を見据える行動力や金融力を高く評価する歴史家も出てきました。


「5月20日にあった主なできごと」

1498年 バスコ・ダ・ガマ新航路発見…ポルトガル国王にインド航路を開拓するよう求められていたバスコ・ダ・ガマは、アフリカ南端の喜望峰を経て、インドのカリカットに到達しました。リスボンを出発からおよそ10か月でした。この航路発見により、ヨーロッパとアジアは船で行き来できるようになり、ポルトガルはアジアへ植民地を広げていきました。

1506年 コロンブス死去…スペインのイザベラ女王の援助を得て、ヨーロッパ人として最初にアメリカ海域へ到達したイタリア出身の探検家・航海者のコロンブスが亡くなりました。

1799年 バルザック誕生…『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『従妹ベット』など、90数編に及ぶぼう大な小説を書き上げ、その小説群を「人間喜劇」と総称したフランスの文豪バルザックが生まれました。
投稿日:2015年05月20日(水) 05:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)