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最新記事【2017年09月01日】


● 今日(9月1日)の主なできごと

1923年 関東大震災……この日の午前11時58分、関東地方一帯に震度7.9(激震)という大地震・関東大震災がおこった。東京では130余か所で火災がおきて半分以上を焼き尽くし、関東全域で死者10万人以上、災害にあった人は400万人にものぼった。不安が高まる中に「朝鮮人が暴動をおこした」「井戸に毒を流した」などというデマが乱れとび、罪のない朝鮮人や中国人数千人が殺された。

1939年 第二次世界大戦のきっかけ……ヒトラーの率いるドイツ軍は、この日突然隣国のポーランドに侵攻した。この行動に対し、イギリスとフランスは、兵を引き上げるように要求したがヒトラーはこれを受け入れず、9月3日に英仏はドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が勃発した。戦争はヨーロッパ全体に広がり、やがて世界のほとんどを巻きこむ大戦争になっていった。

1983年 大韓航空機撃墜される……ニューヨーク発、バンクーバー経由ソウル行の大韓航空機が、誘導装置の設定ミスによるソ連領空侵犯のためにソ連戦闘機に撃墜され、乗客乗員269人が死亡した。


● 今日の主な記念日・恒例日

防災の日……1959年に襲来して、5000人を越える死者・行方不明者、39000人の負傷者という大災害をおこした伊勢湾台風と、関東大震災のおきた日にちなみ、防災意識を高めようと、政府はこの日を「防災の日」と定めた。

宝塚歌劇団レビュー記念日……1927年のこの日、宝塚少女歌劇団が日本初のレビュー『モン・パリ』の初演を行ったのにちなみ、宝塚歌劇団が1989年に制定。

くいの日/キウイの日……「く(9)い(1)」(杭)の語呂合せから、基礎工事現場での殉職者の慰霊及び基礎工事の安全作業を推進する日として東日本基礎工業協同組合が1993年に制定し、「キュー(9)イ(1)」の語呂合せから、ニュージーランド産キウイフルーツの輸入等を行っている会社が制定。


● 今日生まれた人

1875年 バローズ……アメリカの小説家。代表作『類猿人ターザン』などターザンシリーズ。

1877年 アストン……イギリスの化学者・物理学者。質量分析器の発明。

1904年 幸田文……昭和期の小説家・随筆家。代表作『流れる』『おとうと』『父 その死』など。幸田露伴の子。

1909年 ノーマン・ハーバート……カナダの外交官・日本研究家。代表作『日本における近代国家の成立』など。

1926年 石井ふく子……昭和・平成期のテレビプロデューサー・舞台演出家。「肝っ玉かあさん」「渡る世間は鬼ばかり」など。

1935年 小沢征爾……昭和・平成期の世界的指揮者。


● 今日亡くなった人

1551年 大内義隆……戦国時代の大名。周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護。

1573年 浅井長政……戦国から安土桃山期の戦国大名。信長に攻められ自刃。

1715年 ルイ14世……フランス国王(ブルボン朝3代)。「太陽王」

1915年 井上馨……幕末から明治・大正期の政治家。外務卿・初代外相・元老歴任。

1934年 竹久夢二……明治・大正期の画家・詩人。

1990年 ライシャワー ……アメリカの東洋史学者・駐日大使。
 
2010年  若乃花(初代) ……昭和期の力士。第45代横綱。栃・若時代を築き、引退後日本相撲協会第6代理事長。「土俵の鬼」


● 過去のマイブログ「9月1日」のテーマ

2015年  「日本研究の第一人者」 ライシャワー
アメリカの東洋史研究者・ハーバード大学教授で、駐日アメリカ大使を務めたライシャワーが、1990年に亡くなった日です。1910年、キリスト教長老派教会の宣教師の次男として、今の東京港区白金台の明治学院内に生まれたエドウィン・ライシャワーは、日本の小学校やアメリカン・スクールに学び、1926年に米国に渡って、オパーリング大学を経てハーバード大学大学院で日本を含む東アジア研究に取り組みました……。

2014年 「大内武家文化」 と大内義隆
周防山口を中心に西中国から北九州の守護大名・戦国大名として勢力を誇った大内義隆(おおうち よしたか)が、1551年に亡くなった日です。1507年、周防山口を本拠に、長門(山口県)・石見(島根県西部)・安芸(広島県西部)・豊前(福岡県東部・大分県北部)など、西日本に勢力を誇った大内氏の第30代当主・大内義興の長男として生まれた大内義隆は、1528年に父が死去したため、22歳で第31代当主として家督を相続……。

2011年  明治の元老・井上馨
幕末の長州藩士、政治家、実業家として活躍した井上馨(いのうえ かおる)が、1915年に亡くなった日です。長州藩士の子として、1835年に生まれた馨(幼名勇吉のちに聞多)は、藩校明倫館に入学した後、1857年江戸へ出て蘭学と砲術を学びました。次第に尊皇攘夷運動に共鳴し、1862年には高杉晋作や久坂玄瑞らとともにイギリス公使館の焼討ちに参加するなど……。

2010年 『宵待草』 の竹久夢二
大正ロマンを代表する数多くの美人画を遺した画家・詩人の竹久夢二が、1934年に亡くなった日です。1884年、岡山県の酒造業を営む家に生まれた夢二(本名茂次郎)は、17歳で画家をめざして上京し、早稲田実業学校に通いながら絵ハガキを描いては、学校周辺の絵ハガキ店に売って生計をたてていました。このころ、友人だった荒畑寒村の紹介で社会主義雑誌『直言』にコマ絵が掲載され、これが最初に印刷された夢二の絵でした……。

2008年  太陽王・ルイ14世
フランスブルボン王朝の第3代国王で、「朕は国家なり」(私そのものが国家だ)というほどの権力をふるった、絶対専制君主ルイ14世が、1715年に亡くなった日です。フランスのブルボン王家では、1643年にルイ13世が亡くなり、子のルイ14世が、わずか5歳で国王の位をつぎました。ルイ14世は、両親の結婚から22年もたって生まれた王子です。即位はしても、実際の政治は、母親のアンヌと宰相のマザランが行ないました……。

2006年 「徳川吉宗」 のこども時代
紀州 (和歌山) 藩の第2代目の藩主徳川光貞の4男として生まれた吉宗は、生まれつき、性格がおおらかでした。ある日のこと、父が、刀のつばのたくさん入った箱を取りだしてきて、子どもたちに、つばを与えるから、どれでもすきなものを取るように言いました。刀のつばは、武士にとって、たいせつなものです。兄たちはよろこんで、自分のすきなものを、ひとつずつ選んで取りました。しかし、吉宗だけは取ろうとしません……。

2005年  「科学する心」 を育てる
私を含め多くの親たちは、子どもたちの物事を深く知ろう、疑問を解決しようという心の動きを知ろうとしない傾向がある。おとなのそんな態度が幼い心を傷つけ、伸びようとする探究心の芽をつみとってしまいがちだ。以前にもこんなことがあった。上の子が4歳になった誕生日のプレゼントに、電池でレールの上を動く小さな汽車を買ってあげた。8の字型になったレールの上にその汽車を走らせ、スイッチを入れたり切ったり……。
投稿日:2017年09月01日(金) 05:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)