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最新記事【2016年12月13日】


● 今日(12月13日)の主なできごと

1937年 南京大虐殺……同年7月、北京郊外の盧溝橋近くで日中両軍が衝突(盧溝橋事件)して全面戦争になっていたが、日本軍は当時の中国の首都南京を占領し、軍人ばかりでなく、女性や子どもを含むたくさんの市民を殺した。この日の犠牲者は、中国側の発表では30数万人、日本の研究でも3万人以上とされているが、いまだに真相はわかっていない。


● 今日の主な記念日・恒例日

ビタミンの日……1910年のこの日、鈴木梅太郎が、米糠(ぬか)から抽出した脚気を予防する成分に「オリザニン」(1年後に発見されたビタミンB1と同じ物質であることが判明)と命名したことを東京化学会で発表したことにちなみ、『ビタミンの日』制定委員会が2000年に制定。

双子の日……1874年のこの日、「双子の場合は、先に産まれた方を兄・姉とする」という太政官指令が出された。それまでは、後に産まれた子を兄・姉とする地方もあったといわれている。


● 今日生まれた人

1816年 ジーメンス……ドイツの電気技術者・電信事業家。「電車」を発明し、世界初の営業運転。コンダクタンス(電気伝導力)の単位S(ジーメンス)の名の由来。

1797年 ハイネ……ドイツの文学者・評論家。代表作『歌の本』『ドイツ・冬物語』など。「愛と革命の詩人」

1871年 田山花袋……明治・大正・昭和期の小説家・詩人。代表作『蒲団』『田舎教師』など。

1877年 大谷竹次郎……明治・大正・昭和期の実業家。「松竹」創業。

1902年 屋良朝苗……昭和期の教育者・政治家。初・2代沖縄県知事歴任。


● 今日亡くなった人

1213年 平徳子(建礼門院)……平安時代後期から鎌倉時代前期の女性。平清盛の次女で安徳天皇の母。

1901年 中江兆民……明治期の思想家・政治家。自由民権思想家。「東洋のルソー」

1969年 獅子文六……昭和期の小説家・劇作家・演出家。代表作『悦ちゃん』『大番』『てんやわんや』『娘と私』など。

1977年 小原国芳……明治・大正・昭和期の教育家。「玉川学園」創立。


● 過去のマイブログ「12月13日」のテーマ

2013年  理想教育をめざした小原国芳
玉川学園の創立者として国際的に知られる教育家の小原国芳(おばら くによし)が、1977年に亡くなった日です。1887年、現在の鹿児島県南さつま市に生まれた小原国芳は、鹿児島師範学校や広島高等師範学校を卒業し、1913年に香川師範学校の教師となりました。真の教育をめざす小原は、1915年に29歳で京都帝国大哲学科に入学し、1918年に卒業しましたが、卒業論文「宗教による教育の救済」は、原稿用紙1500枚におよぶ長大なもので、後に『教育の根本問題としての宗教』として出版……。

2012年  [おもしろ民話集 65] 夜泣き石
昔あるところに、貧しい百姓夫婦がありました。ふとした風邪をこじらせて夫を失くしたため、こまった身重のおかみさんは、となり村の知りあいをたよってお金を借りてきました。その帰り道、ある峠にさしかかったときには、夕暮れがせまっていました。すると、急に陣痛に見舞われ、松の根元にすわりこんで痛みをこらえていました。そこを通りかかったひとりの侍は、しばらく介抱していましたが、おかみさんが金を持っているのがわかると、「その金をよこせ」といいました……。

2011年 「寂光院」 と建礼門院
平清盛の次女で、高倉天皇の中宮となり、安徳天皇の生母である平徳子(たいらの とくこ) 院号・建礼門院(けんれいもんいん)が、「壇ノ浦の戦い」で入水するも助け出され、京都・大原の寂光院(じゃっこういん)で、1214年に亡くなった日です。1155年、平清盛と時子の間に生まれた徳子は、16歳で、後白河法皇の養女となって宮中に入り、1172年に高倉天皇の中宮(皇后)となりました。この結婚は、平家一門の権勢を伸ばすための政略的なもので、徳子の使命は「天皇の子を生む」ことでした……。

2010年 自然主義文学を代表する田山花袋
『蒲団(ふとん)』『田舎教師』などを著し、島崎藤村と並び自然主義文学を代表する作家といわれる田山花袋(たやま かたい)が、1871年に生まれた日です。今の群馬県館林市の代々藩士だった家に生まれた田山花袋は、12歳から漢学塾で漢詩文を学び、和歌や西洋文学にも親しみました。西南戦争で父が戦死したあと、上京して書店員をするなど帰郷と上京をくりかえすうち、作家をこころざすようになりました。そして1891年、尾崎紅葉に弟子入りし、文学の指導を受けました……。

2007年  [おもしろ民話集 25] かわいそうな悪魔
むかし、ある村の農夫が、1ぴきのめ牛を飼っていました。春になると、め牛を牧草地へ連れて行って、草を食べさせます。「神様、いつも私らをお守りくださり、ありがとうございます。今年もこのめ牛に、草をたっぷり食べさせてください。お願いいたします」 と、祈りました。この様子を、悪魔がしげみのかげから見ていました。「人間ってやつは、何でもうまくいくと神様に礼をいう。悪くいくと必ずおれのせいにする。チクショー、今に見ておれ」それから2、3日たちました……。

2006年 自ら創りあげたイメージは、映像をはるかに越える
ごく最近も、大きくふくらんだイメージ体験をしました。今年の2月ごろ、話題になっていた「ダビンチコード」を読んだのです。キリスト教の世界を良く知らない日本人にはかなり骨の折れる作品だなと思いながらも、展開するストーリーの面白さにグイグイ引きつけられて10日ほどで読破しました。5月に映画が公開されたのは知っていましたが、あまり見に行きたい気になれませんでした。その後、ダビンチに関する本を数冊読み、聖書の勉強もし、11月のDVD発売後すぐに購入し……。

2005年 「育児・しつけ教室」(3〜4歳)のねらい
3歳になると、言葉は急速な広がりを見せるようになります。しかしこれは、子どもに接するお母さんお父さんの姿勢によって大きく左右されます。両親は、子どもの興味をひいたり、喜びそうな話題について、いつも心をくばっていくことが大切です。ひとりで出来ることが多くなり、友だちとも遊べるようになります。この本に、たくさん出てくるような疑似体験やごっこ遊びを積極的にやらせてあげて下さい。絵本は、単純なストーリーのある物語などが好きで……。
投稿日:2016年12月13日(火) 05:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)