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最新記事【2016年12月14日】


● 今日(12月14日)の主なできごと

1702年  赤穂浪士の討ち入り……この日の深夜、赤穂藩(今の兵庫県)の元藩主・浅野内匠頭(たくみのかみ)長矩の元家臣の大石内蔵助良雄を中心とした47人の浪人(赤穂浪士)たちが、本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成しとげた。前年の1701年3月、江戸城松之廊下で元藩主の浅野が、幕府の礼式を司る高家筆頭の吉良上野介義央(よしなか)に小刀で切りかかるという事件が起った。浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたにもかかわらず、吉良には一切のおとがめがなかったのが、事件の発端となった。
家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、12月14日寅の刻 (現在の暦法では15日午前3時ごろだが、当時は日の出の時間に日付が変わっていたため14日)、大石の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入った。約2時間の戦いの末、浪士側は一人の死者を出さずに吉良の首を取ることができた。世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方し、幕府は翌年2月4日、死罪でなく、一同切腹という温情な処置をとった。この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』など100種以上の作品が作られ、現在まで語り継がれている。この日は「四十七士討ち入りの日/忠臣蔵の日」記念日に制定され、浅野や大石たちの墓のある泉岳寺(東京港区高輪)では、毎年この日に「義士祭」が行われる。


● 今日の主な記念日・恒例日

南極の日……1911年のこの日、ノルウェーの探検家・アムンゼンと4人の隊員が人類で初めて南極点に到達したことにちなむ記念日。


● 今日生まれた人

1546年 ブラーエ……デンマークの天文学者・占星学者。膨大な天体観測記録を残し、ケプラーの法則を生む基礎を作る。

1883年 植芝盛平……明治・大正・昭和期の武道家。「合気道」の開祖。

1901年 阪東妻三郎……大正・昭和期の映画俳優。代表作『雄呂血』『無法松の一生』など。


● 今日亡くなった人

1799年 ワシントン……アメリカの軍人・政治家。初代アメリカ大統領。「アメリカ合衆国建国の父」

1840年 谷文晁……江戸時代・中・後期の南画家。代表作『公余探勝図』『青山園荘図稿』など。

1955年 安井曽太郎……大正・昭和期の洋画家。代表作『金蓉』『婦人像』など。

1974年 リップマン……アメリカのジャーナリスト・政治評論家・社会心理学者。


● 過去のマイブログ「12月14日」のテーマ

2015年  「ジャーナリストの手本」 リップマン
アメリカのジャーナリスト・コラムニストで、半世紀にわたり最も影響力ある政治評論家といわれたリップマンが、1974年に亡くなった日です。1889年、ドイツからのユダヤ系移民の3世としてニーヨーク市に生まれウォルター・リップマンは、1906年にハーバード大学に入学、哲学を専攻して3年間で全単位を修得、最後の1年は同大学教授で哲学者のサンタヤーナの助手をつとめ、1910年に最優等賞で卒業する逸材でした。卒業後は、著名なジャーナリストのステファンズの招きにこたえ……。

2012年 「おもしろ古典落語」98回目 『穴(あな)どろ』
「おい、いま帰った」「いままでどこをほっつき歩いてたんだよ、お金はできたのかい?」「あいにくだ」「そんなことだろうと思ったよ。お金の算段もできないくせに、また飲んだとみえて、赤い顔をしてよく帰れたもんだ。で、お店(たな)へは行ったのかい」「うん、行ったらな、番頭さんが『この前用立てたのもそれっきりになってるのに、どの面さげてそんなこといってきた』っていうから、ふだんの面してまいりましたっていったら、おれの面をつくづく見て感心してた……。

2011年 「ケプラー」 を育てたブラーエ
望遠鏡時代がはじまる前の最大の天文観測家といわれるデンマークのブラーエが、1546年に生まれた日です。デンマークの貴族の家に生まれたチコ・ブラーエは、コペンハーゲンの大学で古典的教養を身につけ、政治家をめざしましたが、1560年に予告された通り部分日食が始まったことに驚いて、天文学を志すようになりました。北ヨーロッパ各地を遍歴しながら、天体観測をするいっぽう、占星術にも関心を持つようになります。そのうち、当時用いられていた天文暦にずれがある……。

2010年 昭和を代表する洋画家・安井曽太郎
梅原龍三郎とならび、第2次世界大戦前後の日本洋画界をリードしてきた安井曽太郎(やすい そうたろう)が、1955年に亡くなった日です。1888年、京都で木綿問屋を営む商人の家に生まれた安井曽太郎は、当時の商人の息子の常として商業学校へ入学しましたが、反対する親を説得して絵の道に進みました。1903年に聖護院洋画研究所(のちの関西美術院)に入門、浅井忠らに師事して、梅原龍三郎らとともにここで研さんを続けました。その勉強ぶりはすさまじいもので……。

2009年 アメリカ建国の父・ワシントン
イギリスからの独立戦争で総司令官として活躍し、アメリカ合衆国初代大統領となったワシントンが、1799年に亡くなった日です。ジョージ・ワシントンは、1732年、当時イギリスの植民地だったバージニア州で豊かな農園主の家に生まれました。その頃の地主の子どもは、イギリスで教育を受けることがふつうでしたが、11歳のときに父親が亡くなったため、地元で初等教育をうけただけで、独学で測量技術の勉強をし、19歳で測量士の免状をとりました。ワシントンが20歳のとき……。

2007年 赤穂浪士の討ち入り
1702年12月15日の朝、江戸市民は、赤穂浪士たちが未明に、吉良義央の首をとったという大ニュースにわきたちました。いったい、この事件はどうしておきたのでしょう。大石良雄は、赤穂義士の指導者として有名です。1701年3月、江戸城内の松の廊下で、良雄の主君赤穂(兵庫県)城主浅野長矩が、幕府につかえる吉良義央に、とつぜん切りかかりました。わいろをおくってこなかったことを根にもった義央が、大勢の前で長矩に恥をかかせたためだといわれています……。

2006年 「ダメな子・よい子の育て方」 連載開始
とかく、子どもは親の後姿を見ながら育ちます。親の対応の仕方で、子どもを「ダメにする」ことはじつに簡単です。ところが、「良い子に育てる」には、親は相当努力をしなくてはなりません。以前、「月刊 日本読書クラブ」に連載していた「わが子をダメにしたいお母さんへ」「わが子をよい子にしたいお母さんへ」を基に、加筆、訂正しながら進めます。子育てはどうあるべきかを、いっしょに考えてまいりましょう。

2005年 「育児・しつけ教室」(4〜5歳まで)のねらい
4歳から5歳になると、新しい技能が芽生え、いままで以上に感情のコントロールができるようになり、大人の世界とのつながりも一層深まって、旺盛な独立心を示すようになります。この独立心は、着替えをしたり、身体を洗ったり、お母さんの手伝いをしたりするときに、特に顕著にあらわれます。しかし、練習をして、技能をマスターするという点では、まだまだ大人の力を借りなければなりません。この時期も、言葉の発達にすばらしいものがあります……。
投稿日:2016年12月14日(水) 05:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)