2016年版 9月8日はこんな日
● 今日(9月8日)の主なできごと
1868年 元号「明治」……年号をこれまでの「慶応」(4年)から「明治」(元年)と改めた。同時に、今後は一天皇は一年号とする「一世一元の制」を定めた。
1951年 サンフランシスコ講和条約締結……第2次世界大戦で、無条件降伏をして連合国の占領下におかれていた日本国民は、1日も早い独立を願っていた。1950年に朝鮮戦争がはじまると、アメリカは日本を独立させて資本主義の仲間入りをさせようと、対日講和の早期実現を決意した。そしてこの日、日本の全権大使吉田茂首相は、サンフランシスコで戦争に関連した48か国と講和条約に調印した。同条約は翌1952年4月28日に発効し、日本は6年8か月にわたる占領を終えて、独立を回復した。しかしこの時、アメリカとの間に「安全保障条約」を結んだことで、日本国内に700か所以上もの米軍基地がおかれるなど、本当の意味での独立国にはなりきれず、さまざまな波紋を残すことになった。なお、9月8日は「サンフランシスコ平和条約調印記念日」となっている。
● 今日の主な記念日・恒例日
国際識字デー……1965年のこの日、イランのテヘランで開かれた世界文相会議でイランのパーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回すことを提案したことを記念し、ユネスコが制定した国際デーのひとつ。「識字」とは、「文字の読み書きができる」という意味で、現在世界には戦争や貧困等によって読み書きのできない人が10億人以上いると言われている。
● 今日生まれた人
1841年 ドボルザーク……チェコの作曲家。代表作『スラブ舞曲』交響曲第9番『新世界より』など。
1864年 池田菊苗……明治・大正・昭和期の化学者。グルタミン酸発見。
1869年 木下尚江……明治・大正・昭和期の小説家・社会運動家・評論家。代表作『良人の自白』『懺悔』『火の柱』など。
1873年 羽仁もと子……明治・大正・昭和期のジャーナリスト・教育家。「自由学園」創立。
● 今日亡くなった人
1775年 加賀の千代女……江戸時代中期の俳人。「朝顔に つるべ取られて もらい水」など。
1894年 ヘルムホルツ……ドイツの物理学者・生理学者。「エネルギー保存則」確立者の一人。
1949年 リヒャルト・シュトラウス……ドイツの作曲家。代表作『ばらの騎士』『ツァラトゥストラはかく語りき』など。
1981年 湯川秀樹……昭和期の理論物理学者。中間子の存在を予言。日本人初のノーベル賞(物理学賞)受賞。
2003年 リーフェンシュタール……ドイツの女優・映画監督・写真家。
2004年 水上勉……昭和・平成期の小説家。代表作『雁の寺』『越前竹人形』『五番町夕霧楼』など。
● 過去のマイブログ「9月8日」のテーマ
2015年ブログ 『オリンピア』 のリーフェンシュタール
ベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』が絶賛されたものの「ナチスの協力者」として逮捕されるなど、生涯にわたり非難を浴びせられ続けたドイツの女流監督・写真家のリーフェンシュタールが、 2003年に亡くなった日です。1902年、ベルリンの裕福な家庭に生まれたレニ・リーフェンシュタールは、1923年、表現ダンスのダンサーとしてデビューをはたすと、ドイツ舞踏界を代表するスターとして注目されました……。
2014年ブログ 「庶民派作家」 水上勉
『雁の寺』『飢餓海峡』『越前竹人形』『五番町夕霧楼』など、世間の下積みに生きる人々をたくさんの作品に著した作家の水上勉(みなかみ つとむ)が、2004年に亡くなった日です。1919年、今の福井県おおい町の貧しい大工の家に生まれた水上勉は、9歳の時、京都の臨済宗相国寺の子院、瑞春院に小僧として修行に出されました。しかし、あまりの厳しさに逃げ出し、連れ戻されて等持院に移されましたが、17歳のとき再びこの寺も出ました。その後さまざまな職業を転々としながら小説を書きますが、なかなか認められません……。
2011年ブログ 「味の素」 と池田菊苗
明治・大正・昭和初期に活躍した化学者の池田菊苗(いけだ きくなえ)が、1936年に亡くなった日です。菊苗は1864年、薩摩藩士の子として京都屋敷で生まれました。明治維新後に父は、滋賀県の役人となって、旧薩摩屋敷を所有するなど裕福でしたが、琵琶湖に汽船を浮かべて観光業をしたり、牧畜業にたずさわったりしましたが、しょせんは武士の商法で、どれも失敗に終わってしまいます。そんな中で菊苗は、東京、京都、大阪などで学ぶうち、大阪衛生試験所長と知り合う機会に恵まれ……。
2010年ブログ 日本人初のノーベル賞・湯川秀樹
「中間子」という電子のほぼ300倍もの質量をもつ素粒子のあることを、理論をもって証明したことで、1949年日本人で初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞した 湯川秀樹が、1981年に亡くなった日です。湯川秀樹は、1907年、有名な地理学者小川琢治(たくじ)の3男として、東京麻布に生まれました。のちに大阪の医師である湯川家に婿入りしたため、湯川姓となりました。幼いころから優秀で、特に数学が得意だったようです……。
2008年ブログ 「新世界より」 のドボルザーク
「スラブ舞曲」や「新世界より」などの作曲で名高いチェコ・ボヘミヤ音楽の巨匠ドボルザークが、1841年に生まれた日です。日本人によく親しまれている「家路」(♪ 遠き山に日は落ちて・・・)は、交響曲第9番「新世界より」に出てくるフレーズです。チェコ西部に生まれ、町から町へさまよい歩くジプシーたちの音楽を耳にしながら育ったアントニン・ドボルザークは、幼いころから、心に音楽の火をともして成長しました。ところが、12歳になったとき……。
2006年ブログ 「豊臣秀吉」 のこども時代
顔はやせて、目ばかりぎょろぎょろしていた少年時代の秀吉は、みんなから、小ざる、小ざると呼ばれました。[小ざる] は農民の子でしたが、いくさごっこは好きでした。体は小さくともすばしこく、いくさごっこで負けたことはありませんでした。[小ざる] が8歳になったころ父が死に、やがて母は、新しい男と結婚しました。ところがこの2人目の父は、はじめはやさしかったのに、弟や妹が生まれると、母や [小ざる] につらくあたるようになりました……。
2005年ブログ さまざまな体験から言葉の概念を形成
昔から、ヨチヨチ歩きをはじめた子どもに危険なものを教える時、熱いアイロンやヤカンをさわらせてきた。そういう、アツイという体験が子どもにしっかり覚えこまれるため、アツイといえばストーブにも近づかなくなるし、アイロンをかけているじゃまもしなくなる。そして、おふろのお湯か熱い、ミソ汁が熱い、カゼをひいて熱が出た、日差しが暑いというように、日常的な体験をつみ重ねてアツイという言葉と、自分の感覚が結びついてアツイという概念を形成する。さらに大きくなると、物事に熱中するとか、勉強に熱が入らない……。
投稿日:2016年09月08日(木) 05:11