2016年版 6月20日はこんな日
● 今日(6月20日)の主なできごと
1590年 天正少年遣欧使節帰国……8年前、伊藤マンショら4人の少年が、九州のキリシタン大名大友宗麟・大村純忠,有馬晴信に送りだされた天正少年遣欧使節の一行が長崎に帰国。使節とともに来日したイエズス会宣教師のバリニャーノは活字印刷機を初めて日本に持ち込んだ。
1837年 ビクトリア女王即位……イギリス史上65年という最長(現エリザベス2世が2015年記録更新)の王となり「大英帝国」の絶頂期を築く。
1968年 100m十秒の壁破る……この日、全米陸上選手権の男子100m走で、3人の黒人選手ジム・ハインズ、ロニー・スミス、チャーリー・グリーンが9秒9(手動計時)を記録。人類の悲願だった十秒の壁を破る記念すべき日となった。
● 今日の主な記念日・恒例日
世界難民の日……1974年のこの日、「アフリカ統一機構難民条約」が発効したことから、国連が2000年12月に、それまでの「アフリカ難民の日」を改称して制定。
ペパーミントの日……「はっか(20日)」の語呂合せと、北海道の6月の爽やかさがハッカそのものであることから、ハッカを特産品とする北見市「まちづくり研究会」が1987年に制定し、全国的に広がった。
● 今日生まれた人
1819年 オッフェンバック……フランスの作曲家。代表作『天国と地獄』『青ひげ』『ホフマン物語』など。
1861年 ホプキンズ……イギリスの生化学者。ビタミンや必須アミノ酸を発見。
1894年 竹鶴政孝……大正・昭和期の実業家。ニッカウヰスキー創業。
1901年 丸木位里……昭和・平成期の日本画家。『原爆の図』を配偶者の丸木俊(洋画家)と共同制作。
1909年 吉岡隆徳……昭和初期に活躍した短距離選手。「暁の超特急」
● 今日亡くなった人
941年 藤原純友……平安時代中期の官人。瀬戸内海の海賊首領。
1751年 徳川吉宗……江戸幕府第8代将軍。幕政改革「享保の改革」を断行。
1959年 芦田均……昭和期の政治家。第47代首相。
● 過去のマイブログ「6月20日」のテーマ
2014年ブログ 「暁の超特急」 吉岡隆徳
1935年に100m10秒3の「世界タイ記録」を達成し、戦後はコーチとして飯島秀雄や依田郁子らを育てた吉岡隆徳(よしおか たかよし)が、1909年に生まれた日です。いまの島根県出雲市に神官の子として生まれた隆徳は、小学校卒業後に吉岡家の養子となりました。杵築(きつき)中学(今の大社高校)時代に、駅まで4kmの距離を走って通学するなどの努力が実り……。
2013年ブログ 自由主義政治家・芦田均
戦後の混乱期に国政を担当し、第47代内閣総理大臣をつとめた芦田均(あしだ ひとし)が、1959年に亡くなった日です。1887年、いまの京都・福知山市の農家に生まれた芦田均は、少年時代から外交官となって日本の近代化に向けて活躍する夢を抱いていました。その願いがかなって、東大を卒業後に外務省に入り、大使館書記官、外務事務官、大使館参事官として、ロシア、フランス、トルコなどに駐在……。
2012年ブログ 朝廷を震撼させた藤原純友
平安時代中期に瀬戸内海の海賊の首領として「純友の乱」をおこし、朝廷軍を悩ませた藤原純友(ふじわらの すみとも)が、941年に刑死した日です。藤原純友がいつどこで生れ、どのように育ったかはほとんどわかっていません。筑前の守を歴任した藤原良範の子とも、養子ともいわれています。朝廷から伊予掾(いよのじょう)として、瀬戸内にはびこる海賊を討伐する役目を任じられた純友でしたが……。
2011年ブログ 『天国と地獄』 のオッフェンバック
音楽と喜劇を融合した喜歌劇(オペレッタ)の原型をこしらえた作曲家オッフェンバックが、1819年に生まれた日です。ジャック・オッフェンバックは、ドイツに生れましたが、1833年にチェロを学ぶためにパリ音楽院に入学、卒業後まもなくパリ・オペラコミック座のチェロ奏者となりました。そのかたわらシャンソンの作曲をするうちに有名になり、1843年にテアトロ・フランセの楽長に就任、1855年には「ブック・パリジャン」という劇場を自ら作り……。
2008年ブログ ドガ 「舞台の踊り子」
[私の好きな名画・気になる名画 24] ドガにはたくさんの踊り子を描いた作品がありますが、この代表作 「舞台の踊り子」 には(エトワール)という別称がついています。主席ダンサーという意味で、まさにドガの作品の中でも第1級のできばえのパステル画です。2階のバルコニー席から見おろした舞台には、スポットライトと、左下からフットライトを浴びた踊り子は、華やかに、また軽やかに舞っています。客席からは大きな拍手をあびているにちがいありません……。
2007年ブログ [おもしろ民話集 2] 1本足のにわとり
むかし、あるところに神父さんと、年とった黒人の召使いがいました。召使いは、神父さんが子どもの頃から家にいたので、大人になってもまだ子ども扱いをしていました。神父さんが少しでも雨にぬれて帰ってくると「あれあれ、カゼをひくじゃありませんか」とおおさわぎしたり、死にかかっている人をなぐさめに夜遅くでかけようとすると「身体をこわします。朝まで待てないのですか」とぶつぶつ言ったりします……。
2006年ブログ ねしょんべんものがたり
「ねしょんべんものがたり」(椋鳩十監修 童心社刊)は、児童文学者の岩崎京子、神沢利子、坪田譲二、椋鳩十ら、女性7名、男性13名が語った、幼い日のねしょんべん体験記。1971年に出版されて以来、爆発的な人気をよび、今もなお、小学2〜4年生を中心に、多くの子どもたちに読みつがれています。たんに、おもしろいというのではなく、ふしぎなほど、子どもたちの心に安らぎを与えるからです。この本を読んでの感想文のなかで、子どもたちは楽しそうに言っています……。
2005年ブログ キャメロン会総会で「讃歌」を披露
「曲が完成して仕事の都合がつけば、ギターをかかえてキャメロン・ハイランドへこないか」と私にいい置いて、兄たちは1月21日に3週間のマレーシア旅行へでかけていった。私は、まもなく曲作りを終えた。しかし、短調の曲にしたため哀愁と情感はあるものの、明るさが不足する。「讃歌」なのだから、明るく軽快な感じのものもこしらえておこうと、同じ詞で長調にも挑戦してみた。どちらにするかはみんなの評判を聞いて決めればいいやと、1週間遅れの1月28日、10日間の予定でひとりマレーシアに出発した。私にはリタイヤした人と違って、休暇はとれても10日間がせいぜいだったからだ……。
投稿日:2016年06月20日(月) 05:42